日本歴史地名大系 「遠山庄」の解説
遠山庄
とおやまのしよう
- 岐阜県:恵那郡
- 遠山庄
恵那郡内の近衛家領庄園で、地頭は遠山氏。庄域はたいへん広く、現在の
遠山氏と当庄の関係は、治承四年(一一八〇)源頼朝が伊豆で挙兵したとき頼朝から長刀を与えられ、伊豆国目代山木判官兼隆の首を討取った加藤次景廉が、文治―建久(一一八五―九九)頃に勲功の賞として遠山庄の地頭職を与えられたことに始まる。
遠山庄
とおやまのしよう
- 長野県:木曾郡
- 遠山庄
遠山庄が文献の上に現れてくるのは、「吾妻鏡」文治元年(一一八五)五月一日条で、「故伊予守義仲朝臣妹公
この遠山庄は近衛家の所領で、建長五年(一二五三)の近衛家所領目録には、「高陽院領内、美濃国遠山庄」とある。現在の岐阜県
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報