遠野(市)(読み)とおの

日本大百科全書(ニッポニカ) 「遠野(市)」の意味・わかりやすい解説

遠野(市)
とおの

岩手県中央部、花巻(はなまき)市と釜石(かまいし)市の中間にある市。1954年(昭和29)遠野町と綾織(あやおり)、小友(おとも)、附馬牛(つきもうし)、松崎、土淵(つちぶち)、青笹(あおささ)、上郷(かみごう)の7村が合併して市制施行。2005年(平成17)上閉伊(かみへい)郡宮守村(みやもりむら)を合併。JR釜石線、国道107号、283号、340号、396号が通じ、釜石自動車道の宮守、遠野の各インターチェンジがある。早池峰(はやちね)山、六角牛(ろっこうし)山、石上(いしがみ)山に囲まれた北上(きたかみ)高地盆地にあり、中心部の遠野市街地は猿ヶ石(さるがいし)川と早瀬川の合流点付近に立地する。1189年(文治5)源頼朝(よりとも)の奥州征伐後、阿曽沼氏(あそぬまうじ)の所領となり、1627年(寛永4)の阿曽沼氏没落後は八戸(はちのへ)の南部直栄(なんぶなおひさ)が統治するところとなり、1万3000石の小城下町となった。また、内陸と沿岸を結ぶ遠野街道の宿場町として繁栄した。

 古くから馬産地であり、遠野の馬市は全国的にも知られた。現在は酪農業が発展し、稲作、タバコ・ホップ栽培や林業も盛んで、北上山系開発事業をもとに豊かな田園都市を目ざしている。柳田国男(やなぎたくにお)の『遠野物語』で知られた「民話、伝説のふるさと」であり、それにひかれて訪れる人々が多い。遠野の自然と生活を紹介する市立博物館、日本一の高さをもつ木造十一面観音のある福泉寺などがあり、9月の遠野秋祭では、鹿踊(ししおどり)や田植踊などの郷土芸能が行われる。市の西部の小友地区は盛岡藩仙台藩の境にあたり、新谷番所(あらやばんしょ)(市の史跡)が置かれた。伝承園にある18世紀中ごろの曲屋(まがりや)である旧菊池家住宅は国の重要文化財。面積825.97平方キロメートル、人口2万5366(2020)。

[川本忠平]

『『遠野市史』全4巻(1974~1977・遠野市)』


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