都の錦(読み)ミヤコノニシキ

デジタル大辞泉 「都の錦」の意味・読み・例文・類語

みやこのにしき【都の錦】

[1675~?]江戸中期浮世草子作者。大坂の人。本名宍戸光風。通称、与一。西沢一風助力を得て、「元禄大平記」「沖津白波」などを発表した。

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精選版 日本国語大辞典 「都の錦」の意味・読み・例文・類語

みやこのにしき【都の錦】

  1. 江戸中期の浮世草子作者。宍戸氏、名は与一、字は光風。八田宮内輔光風とも称す。別号は雲休堂、梅薗堂、二千風、鉄舟など。京坂で著作に従事、後江戸へ下り、無宿浪人として捕らえられ、流罪に処せらる。著「元祿曾我物語」「元祿大平記」「沖津白波」など。延宝三年(一六七五)生。没年未詳。

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改訂新版 世界大百科事典 「都の錦」の意味・わかりやすい解説

都の錦 (みやこのにしき)
生没年:1675(延宝3)-?

江戸中期の浮世草子作者。本名宍戸(ししど)(また八田,友部とも)光風。通称与一。出生地不詳。遊興に身をもちくずし学問を捨て,1702年(元禄15)の《元禄曾我物語》《元禄大平記》より翌年にかけて7作を発表。03年夏立身の志を抱いて江戸に下ったが,放浪中を捕らえられて薩摩金山労役に送られ,09年許されて大坂に帰る。以後,往悔子(おうかいし)などと称し執筆活動を再開するが振るわなかった。その作は自己の学問を誇示する気持ちと,浮世草子界の好尚に乗ろうとあせる気持ちがあらわであるが,過剰な自意識が自己を破滅に導いた異色の存在だったといえる。著作の和漢古典利用は,西沢一風の開いた伝奇化の風を推進する力になっている。
執筆者:


都の錦 (みやこのにしき)

浄瑠璃の伝書名。2冊あり,《都の錦》(乾之巻)と《老の戯言(おいのたわごと)》(坤之巻)で一組となっている。ともに1865年(慶応1)柳糸亭三楽編著刊。《都の錦》(角書〈音曲道しるべ〉)は宮古路豊後掾の秘伝を初世常磐津文字太夫が書きとめ,写本として伝わっていたもので,浄瑠璃の語り方についての指導に重点がおかれている。《老の戯言》(角書〈三味線早稽古〉)は常磐津節旋律型について具体的に説明したものであり,このほうが資料的価値が高い。
執筆者:

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朝日日本歴史人物事典 「都の錦」の解説

都の錦

没年:没年不詳(没年不詳)
生年:延宝3(1675)
江戸時代の浮世草子作者。宍戸氏,名は与一,字は光風。祖父義政が稲葉正則に召し抱えられ,家臣となる。光風は大坂で生まれ,元禄8(1695)年,浪人した父と共に京都に住むが,元禄13年に放蕩のためか勘当される。仏者となって鉄舟と名乗るが,その後大坂に移り,元禄15年,西沢一風の勧めで書いた『元禄曾我物語』を出版。『元禄大平記』『沖津白波』などを立て続けに著すが,そこには自己宣伝と己の学識を誇示する傾向が窺える。ところが,翌16年,江戸で無宿人として捕らえられ,薩摩山ケ野金山へ流される。宝永1(1704)年には脱走を試みるが失敗,翌2年に鹿籠金山に移される。ここで『播磨椙原』『捨小舟』などを執筆。宝永6年に許されて上方に戻り,『当世智恵鑑』(1712)などを著すが,その晩年については不明。<参考文献>野間光辰『近世作家伝攷』,中嶋隆「『都の錦』の家系」(神保五弥編『江戸文学研究』)

(樫澤葉子)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「都の錦」の意味・わかりやすい解説

都の錦
みやこのにしき
(1675―?)

江戸中期の浮世草子作者。本名宍戸(ししど)(八田または友部とも)光風。通称与一。出身地は明らかでない。遊興に身を持ち崩し、1702年(元禄15)より翌年にかけて『元禄曽我(げんろくそが)物語』、『元禄大平記』など七作を発表。03年夏江戸に下り、放浪中を捕らえられ、薩摩(さつま)国(鹿児島県)の金山の労役に送られた。09年(宝永6)許されて大坂に帰り、往悔子(おうかいし)などの筆名で『当世智恵鑑(ちえかがみ)』(1712)ほか2、3の作を出し、以後消息不明。彼の作は学問を誇示し、自己顕示欲が強く、一方、際物性と好色味で読者を引こうとし、秀作とはいえぬが、当時に異彩を放ち、西沢一風(いっぷう)の開いた古典の利用、伝奇化の風を推し進める一翼を担う存在であった。

[長谷川強]

『長谷川強著『浮世草子の研究』(1969・桜楓社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「都の錦」の意味・わかりやすい解説

都の錦
みやこのにしき

[生]延宝3(1675).播磨
[没]?
江戸時代中期の浮世草子作者。姓,宍戸,また八田。名,光風。通称,与一。号,鉄舟。ほかに梅薗堂などを名のった。播磨国佐用郡の神官であったが,のち大坂に上り西沢一風の世話で『元禄曾我物語』 (1702) を著わし,2年間に数部の浮世草子を出した。元禄 16 (03) 年立身を願って江戸に下ったが無宿改めのために捕えられ,薩摩の山ヶ野金山に送られた。その後脱走するが捕えられ入牢,出所後薩摩鹿籠金山に移され,宝永6 (09) 年大赦により放免。大坂に戻り再び作家生活をおくったが,その後の消息は不明。作品は衒学的傾向が強い。代表作『元禄大平記』 (02) ,『沖津白波』 (02) ,『当世智恵鑑』 (12) 。

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百科事典マイペディア 「都の錦」の意味・わかりやすい解説

都の錦【みやこのにしき】

江戸中期の浮世草子作者。武士の宍戸(ししど)氏に生まれた。名は与一。八田宮内少輔光風とも称す。仮名や別名多数。1701年からの2年間に大坂・京都において《元禄曾我物語》《元禄太平記》等を集中的に執筆・刊行。1703年江戸滞在中に無宿浪人として検挙され薩摩国山ヶ野金山へ流刑となった。のち同国鹿籠金山に移され,そこで《播磨椙原》などを著述した。その後赦されて京に戻り,筆耕の傍ら述作を続けたらしいが,不明な点が多い。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「都の錦」の解説

都の錦 みやこのにしき

1675-? 江戸時代前期-中期の浮世草子作者。
延宝3年生まれ。もと武士。放蕩(ほうとう)のため勘当され,元禄(げんろく)15年ごろ京坂で「元禄大平記」「風流神代巻」などをあいついで刊行した。16年江戸へいくが無宿人とされ,薩摩(さつま)の金山に流された。のちゆるされたが晩年の消息は不明。大坂出身。姓は宍戸。名は与一。字(あざな)は光風。別号に鉄舟,往悔子など。
【格言など】酢(す)いも甘いも喰ねば知れぬ(「元禄大平記」)

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「都の錦」の解説

都の錦
(通称)
みやこのにしき

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
元の外題
武智十兵衛都錦
初演
享保16.1(大坂・岩井座)

都の錦
〔富本〕
みやこのにしき

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
初演
寛政6.3(江戸・都座(都座163年の寿興行))

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