金神(読み)こんじん

日本大百科全書(ニッポニカ)「金神」の解説

金神
こんじん

忌避しなければならないと畏(おそ)れられている方位の神。陰陽五行説に起源をもつとされているが、さだかではない。現在のところ、金神に関する文献は中世の『簠簋内伝(ほひつないでん)』など限られている。それらによると、金神は遊行(ゆぎょう)するということが大きな特徴である。方位については異説があるが、たとえば、甲(こうき)の年は午(うま)・未(ひつじ)・申(さる)・酉(とり)、乙庚(おつこう)の年は辰(たつ)・巳(み)・戌(いぬ)・亥(い)、戊癸(ぼき)の年は子(ね)・丑(うし)・申(さる)・酉(とり)、丙辛(へいしん)の年は子・丑・寅(とら)・卯(う)、丁壬(ていじん)の年は寅・卯・戌・亥の方(かた)を忌むべき方位としている。これを犯して建築や旅などをすると、金神七殺(こんじんしちせつ)といってかならず家族7人が殺される。家族が7人に満たないときはその災いが隣家に及ぶと考えられた。平安時代に盛んに行われた方違(かたたがえ)は、こうした金神説に伴って引き起こされたものである。これらの知識が修験(しゅげん)などの民間宗教者によって広められた。岡山県などを中心とする中国地方においては、金神を屋敷神として祀(まつ)る家が少なくない。金光(こんこう)教は金神を基盤として創立したものであるといわれている。

[佐々木勝]

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精選版 日本国語大辞典「金神」の解説

こん‐じん【金神】

陰陽道でまつる神。金気ので、殺伐を好むおそるべき神。この神の方位は大凶方とされる。その方位は、異説が多いが、例えば、十干の甲己(こうき)の年は午・未・申・酉の方、乙庚(おつこう)の年は辰・巳・戌・亥の方、戊癸(ぼき)の年は子・丑・申・酉の方、丙辛(へいしん)の年は子・丑・寅・卯の方、丁壬(ていじん)の年は寅・卯・戌・亥の方を忌むべき方角とする。回(まわり)金神。
※後二条師通記‐寛治六年(1092)六月二一日「問申金神方事、被禁忌之由承之」

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百科事典マイペディア「金神」の解説

金神【こんじん】

陰陽道における方位の神。この神のいる方に工事,移転,嫁取りなどするのを忌み,これを犯すと家族7人が殺されるという金神七殺の迷信がある。回り金神といって干支や季節で居場所が変わり,その方角は暦の注記や巫女(みこ)に見てもらって知る。金神信仰は金光教大本教にも及ぶ。
→関連項目家相方違

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デジタル大辞泉「金神」の解説

こん‐じん【金神】

陰陽道(おんようどう)で祭る方位の神。金気の精で、この神がいる方位に向かって土木を起こしたり、移転・出行・嫁取りをしたりすることを忌む。

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世界大百科事典 第2版「金神」の解説

こんじん【金神】

道教の方位方角に関する禁忌を踏まえて成立した陰陽道(おんみようどう)で,方位の神として恐れられたもの。金の性のゆえに金神と称された。《中右記》の1114年(永久2)の記事に,金神を忌み方違(かたたがえ)をする習俗のあったことを記し,《本朝世紀》《百練抄》《玉海》などの文献にも同様の記事がある。南北朝時代の《簠簋(ほき)内伝》には,〈金神は,巨旦大王の精魂なり〉と説き,遊行するものとされ,金神七殺の方として,甲(きのえ)己(つちのと)の年は午未申酉(うまひつじさるとり)の方,乙(きのと)庚(かのえ)の年は辰巳戌亥(たつみいぬい)の方,丙(ひのえ)辛(かのと)の年は子丑寅卯(ねうしとらう)の方,丁(ひのと)壬(みずのえ)の年は寅卯戌亥(とらういぬい)の方,戊(つちのえ)癸(みずのと)の年は子丑申酉(ねうしさるとり)の方にいると記されている。

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世界大百科事典内の金神の言及

【金光大神】より

…幕府天文方渋川景祐の門人で陰陽頭土御門家の直門であった同村庄屋小野光右衛門に手習いをならい,36年(天保7)に家督を継ぎ,農事に精励,家産を回復した。生来信心深く,55年(安政2)42歳の厄年に難病を患い,金神(こんじん)の祟りを教えられたことで金神信仰を深めた。57年に実弟香取繁右衛門が神がかりをして金神の教えを説くとその熱心な信者となり,翌年にはみずからも金神の知らせを受ける身となった。…

※「金神」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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