室町時代の1541年(天文10)ポルトガル船が豊後(ぶんご)(大分県)に漂着して以来、ポルトガル、スペイン、オランダの船が日本に渡来したが、その際、鉄砲や洋酒などとともにもたらされた菓子を総称して南蛮菓子といった。
南蛮菓子にはビスカウト(ビスケット)、カステラ、コンペイト(金平糖)、アルヘル(有平糖)、カルメル(浮石糖(カルメラ))、ヒリョウス(飛竜頭=がんもどき)、ボウル、玉子素麺(そうめん)、パンなどがあり、キリスト教の宣教師たちは、布教の手段にこれらの菓子を用いたほど、当時の日本では珍重された。とりわけ金平糖などはなかなか製法がわからず、井原西鶴(さいかく)の『日本永代蔵(にっぽんえいたいぐら)』には、金平糖作りに苦心した当時(1688ころ)のようすが描かれている。その金平糖も仕法が解明されると貴重品扱いはされなくなり、有平糖などとともに並菓子になった。またカルメラは製法も簡単なところから早々に駄菓子に転落し、今日では姿をみるのさえまれになってしまった。
一方、カステラはバターを使わない和風ケーキとして、南蛮菓子から和生菓子に転進を遂げ、現代に至るまで上菓子の座を保っている。また南蛮菓子は地方銘菓にも足跡をとどめた。このうち福岡県博多(はかた)の鶏卵素麺、佐賀の丸芳露(まるぼうろ)、京都の蕎麦(そば)ほうる、愛媛県松山のタルト、広島の和蘭(おらんだ)ばってん棒などは有名である。さらに南蛮菓子の渡来は砂糖漬けの手法をももたらし、多くの地方銘菓を生んだ。
[沢 史生]
室町末期以後,ポルトガル人,オランダ人などによって伝えられた菓子。キリシタンの宣教師が布教に利用したことなどで普及し,《毛吹草》(1638)には京都の名産の一つに数えられている。小麦粉をはじめ,当時はまだあまり使われていなかった砂糖,鶏卵,油を多用するもので,その新しい味覚は日本人の食生活に大きな影響を与えた。多くの種類があったが,現在も盛んに作られているものにはカステラ,ボーロ,有平糖,カルメラ,金平糖などがあり,ほかに鶏卵をかき混ぜて熱した砂糖液の中に垂らし固める鶏卵素麵(たまごそうめん)/(けいらんそうめん)は博多などの名物となっている。また,飛竜頭(ひりようず)はもち米の粉を練って油で揚げ,砂糖みつに浸すという菓子であったが,今では豆腐の加工品に変化して,がんもどきの別名となっている。ビスケットとパンも南蛮菓子として紹介されたが,いずれも江戸時代には普及しなかった。なお,江戸後期になるとカステラその他の名が個別に定着したためであろう,京坂では南蛮菓子といえば駄菓子をさすようになったという。
執筆者:鈴木 晋一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…ようかん,まんじゅうともに砂糖を使ったものと使わぬものとがつくられていたが,砂糖はまだ貴重な輸入品であったから,砂糖入りのものはとくに砂糖ようかん,砂糖まんじゅうと,砂糖を冠した名で呼ばれていた。餡饅頭羊羹
[南蛮菓子の伝来]
室町末期からポルトガル人などのヨーロッパ人との接触が始まり,彼らによってヨーロッパの菓子が伝えられた。南蛮菓子と呼ばれるのがそれで,カステラ,ボーロ,金平糖(こんぺいとう),有平糖(あるへいとう),カルメラなどがおもなものである。…
※「南蛮菓子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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