金竜寺(読み)こんりゆうじ

日本歴史地名大系 「金竜寺」の解説

金竜寺
こんりゆうじ

[現在地名]津具村上津具

みや川左岸、瀬戸せと川・本沢ほんさわ川との合流点付近にある。白鳥山と号し、曹洞宗。本尊虚空蔵菩薩。白鳥山しろとりやま城主後藤善心の開基といい、天文一〇年(一五四一)創建と伝える。津具四ヵ村全域の宗門寺である。朱印寺領一三石余。安永九年(一七八〇)宗旨証文之事(津具村古文書)は、上津具町方かみつぐまちかた村の半四郎家・半兵衛家の者男女一二人が、当寺からいわ(現岐阜県恵那郡)の真宗東本願寺派浄光じようこう寺へ宗旨替えした証文である。これは、美濃信濃三河の木地屋が浄光寺へ宗旨替えしたものの一例で、このあと浄光寺は毎年一回木地屋を巡回している。


金竜寺
きんりゆうじ

[現在地名]豊科町大字高家 真々部

真々部氏館跡二の丸にあたる。当寺の「元屋敷もとやしき」は真々部館跡の東北方、北小路真行寺しんぎようじ小路の間にある。臨済宗、山号金桑山。本尊聖観音菩薩。諏訪滋雲寺末。開山天桂、開基真々部尾張守(信府統記)。寺伝によれば、天桂は武田信玄の命によって来住、永禄一一年(一五六八)没。天正一〇年(一五八二)五月二五日木曾義昌当寺に山林竹木を伐採すること、寺中において殺生すること、内儀を得ずして山林は許容をなすこと、の禁制を掲げている。


金竜寺
きんりゆうじ

[現在地名]神岡町東茂住

東茂住ひがしもずみの中央部、通称宗貞そうてい邸跡に位置する。白雲山と号し、曹洞宗。本尊釈迦如来。寺伝によれば天正年間(一五七三―九二)金森長近の命により鉱山奉行となった糸屋(茂住)宗貞は、荒廃していた当寺を復興し、慶長年間(一五九六―一六一五)越前国東郷永昌とうごうえいしよう(現福井市)から林達を招いて開山としたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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