鈴木牧之
すずきぼくし
(1770―1842)
江戸後期の文人。越後(えちご)の塩沢(しおざわ)(新潟県南魚沼(みなみうおぬま)市)に生まれる。幼名は弥太郎、16歳で元服して名を儀三治(ぎそうじ)と改める。牧之は俳号である。生家は縮(ちぢみ)の仲買商であったが、牧之は子供のころから書画に親しみ、人並み外れた才能を示したといわれる。一方、家業を継ぐための修業にも励み、16、17歳ごろまでには商人に必要な知識をひととおり会得した。19歳のとき縮を商うため初めて江戸に出るが、商売のかたわら書を学んでいる。20歳のときに家業を継ぎ、商売繁盛に努めたが、やがて多忙な時間を割いて越後の風土の研究を行うようになってゆく。『北越雪譜(ほくえつせっぷ)』『秋山記行(あきやまきこう)』はその代表作である。交友関係も多彩で、山東京伝(さんとうきょうでん)、滝沢馬琴(ばきん)(曲亭馬琴)、十返舎一九(じっぺんしゃいっく)などとも交流があった。なお、牧之の生まれ故郷の塩沢に、1989年(平成1)鈴木牧之記念館が開館し、関係資料が一般公開されている。
[胡桃沢勘司]
『宮栄二・井上慶隆・高橋実編『鈴木牧之全集』全2巻(1983・中央公論社)』▽『観光資源保護財団著『塩沢町郷土博物館』(『全国ふるさと博物館ガイド』所収・1977・柏書房)』
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鈴木牧之
没年:天保13.5.15(1842.6.23)
生年:明和7.1.27(1770.2.22)
江戸後期の随筆家,文人。幼名弥太郎,のち儀三治,秋月庵牧之は俳号。屋号は鈴木屋。越後魚沼郡塩沢(新潟県塩沢町)の縮仲買,質商恒右衛門,とよの子。幼時から俳諧を好む父と共に越後下りの江戸文人たちと交わった。19歳で江戸へ出て,沢田東江に師事。雪国の習俗と伝奇を絵入りの読み物にすることを思い立った。寛政の末江戸の戯作者山東京伝に『北越雪譜』の原稿を持ち込んだが出版が実現せず,曲亭馬琴などの手を経て,京伝の弟山東京山の斡旋によって天保8(1837)年に初編3冊,12年に二編4冊を上梓。雪国の百科事典として多くの読者を魅了した。紀行,漢詩・狂歌・俳諧など幅広い文学活動を繰り広げ,家業に対する辣腕ぶりは教訓書『夜職草』(1824)に示される。<著作>宮栄二他編『鈴木牧之全集』上下,鈴木牧之顕彰会編『鈴木牧之資料集』
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鈴木牧之 すずき-ぼくし
1770-1842 江戸時代後期の商人,随筆家。
明和7年1月27日生まれ。越後(えちご)(新潟県)塩沢で家業の縮み仲買商をいとなむ。俳諧(はいかい),書画にしたしみ江戸の文人と交遊。山東京山の協力で雪国の民俗・生活の記録「北越雪譜」を出版。天保(てんぽう)13年5月15日死去。73歳。通称は儀三治(ぎそうじ)。別号に秋月庵,螺耳。著作はほかに「夜職草(よなべぐさ)」「秋山記行」など。
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鈴木牧之【すずきぼくし】
江戸後期の文人。本名儀三治。俳号秋月庵牧之。越後塩沢の縮(ちぢみ)仲買兼質屋に生まれ,家業のあいまに学問・風流に心をよせ,山東京伝ら多くの江戸文人と交遊。菅江真澄と並ぶ,江戸後期の代表的地方文人。著書《北越雪譜》,信越国境の平家谷秋山郷を探訪した記録《秋山記行》,自伝《夜職(よなべ)草》,《秋月庵発句集》など。
→関連項目清津峡|塩沢[町]
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すずき‐ぼくし【鈴木牧之】
江戸後期の随筆作者。本名儀三治(ぎそうじ)。俳名秋月庵牧之。越後(新潟県)塩沢の縮仲買商鈴木屋主人。家業のかたわら俳諧・書画に親しみ、山東京山・曲亭馬琴・十返舎一九らの協力を得て、雪国の生活を記録した「北越雪譜」二編七巻を刊行した。ほかに「秋山記行」「夜職草(よなべぐさ)」など。明和七~天保一三年(一七七〇‐一八四二)
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デジタル大辞泉
「鈴木牧之」の意味・読み・例文・類語
すずき‐ぼくし【鈴木牧之】
[1770~1842]江戸後期の文人。越後の人。本名、儀三治。牧之は俳号。越後の雪を中心として記述した「北越雪譜」は著名。
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鈴木牧之 (すずきぼくし)
生年月日:1770年1月27日
江戸時代後期の随筆家;文人
1842年没
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すずきぼくし【鈴木牧之】
1770‐1842(明和7‐天保13)
越後国塩沢(現,新潟県南魚沼郡)の生れ。菅江真澄と並び江戸時代後期の地方文人として名高い。幼名を弥太郎,成人して儀三治と改め,牧之と号した。文筆の才に恵まれており,越後の風土を描いた《北越雪譜》(1836‐42)は,雪国の自然や生物,機織業やサケ漁,古い民俗信仰の実態などをまとめた名作として知られている。牧之は江戸の文人との交流が深く,滝沢馬琴,大田南畝,山東京山,十返舎一九,式亭三馬との親交が知られている。
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世界大百科事典内の鈴木牧之の言及
【秋山記行】より
…越後塩沢に生まれた鈴木牧之(ぼくし)の著。信越国境中津川沿いの,平家の落人村と伝えられる秋山郷の紀行文で,十返舎一九の依頼により1828年(文政11)9月に秋山郷を探訪し,翌年には稿本が完成している。…
【越後国】より
… 豪農豪商の成長にささえられて,地方の文化が発達した。鈴木牧之は塩沢の縮商で家業のかたわら文雅を好み,江戸の山東京伝らと交わり,雪国の風土を《北越雪譜》にまとめ,小千谷の商人広川晴軒は自然科学を学んで《三元素略説》(1865)を著し,新津の大庄屋桂誉重(かつらたかしげ)は国学に親しみ鈴木重胤の門人となり《済生要略》を著した。私塾,寺子屋が発達し,百姓の子弟で学ぶ者も多くなった。…
【気象学】より
…古河藩の城主土井利位(としつら)は顕微鏡で雪の結晶を観察し,そのスケッチを《雪華図説》として1833年に出版している。また,越後の商人鈴木牧之は1835‐42年に《北越雪譜》を出したが,これは雪に関連した各種の話題を収めたものである。1857年には伊藤慎蔵が《颶風新話(ぐふうしんわ)》を出したが,これはイギリスの航海者ピディントンH.Piddingtonの書いた《航海者のための暴風雨に関する会話》の蘭訳をさらに和訳したもので,邦訳された最初の気象専門書である。…
【北越雪譜】より
…越後塩沢出身の鈴木牧之(ぼくし)(1770‐1842)著の地誌。1836‐42年刊。…
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