鈴木鎮一(読み)スズキシンイチ

デジタル大辞泉 「鈴木鎮一」の意味・読み・例文・類語

すずき‐しんいち【鈴木鎮一】

[1898~1998]バイオリン奏者・教育者。愛知の生まれ。音楽教育システム「スズキメソッド」を創出、世界的に評価される。

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「鈴木鎮一」の解説

鈴木 鎮一
スズキ シンイチ


職業
バイオリン教育指導者

肩書
(社)才能教育研究会会長,鶴見大学名誉教授

生年月日
明治31年 10月17日

出生地
愛知県 名古屋市

学歴
名古屋商〔大正6年〕卒

経歴
大正10年ドイツに留学ベルリンでカール・クリングラーに師事。昭和4年帰国後、東京の私立帝国高等音楽院教授となり、傍ら弟3人と鈴木カルテットを結成し演奏家としても活動。10年から“才能は生まれつきのものでなく、幼児からの育て方しだいで決まる”という理論のバイオリンの“才能教育”運動を始める。門下生から江藤俊哉豊田耕児といった多くの世界的バイオリニストを出し、独特な教育法は“鈴木メソード”と呼ばれ、世界32ケ国に普及。会員は30万人を越える。戦後、長野県松本市に移住。平成8年鈴木鎮一記念館が開館著書に「0歳からの才能教育」「愛に生きる」「幼児の能力開発」「歩いてきた道」など。

所属団体
幼児開発協会(理事)

受賞
勲三等瑞宝章〔昭和48年〕 中日文化賞(第3回)〔昭和25年〕,モービル音楽賞(第6回)〔昭和51年〕,名誉音楽博士(ルイビル大・ロチェスター大・ニューイングランド大など),松本市名誉市民

没年月日
平成10年 1月26日 (1998年)

家族
父=鈴木 政吉(バイオリン製作者)

伝記
音楽は生きる力スズキ・メソードと子供の教育現代の脇役現代の覚者たち 中嶋 嶺雄 著熊谷 周子 著アエラ編集部 編森 信三,平沢 興,関 牧翁,鈴木 鎮一,三宅 廉,坂村 真民,松野 幸吉 著(発行元 西村書店ドレミ楽譜出版社新潮社竹井出版 ’09’04’91’88発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「鈴木鎮一」の解説

鈴木 鎮一
スズキ シンイチ

大正・昭和期のバイオリン教育指導者 (社)才能教育研究会会長;鶴見大学名誉教授。



生年
明治31(1898)年10月17日

没年
平成10(1998)年1月26日

出生地
愛知県名古屋市

学歴〔年〕
名古屋商〔大正6年〕卒

主な受賞名〔年〕
中日文化賞(第3回)〔昭和25年〕,勲三等瑞宝章〔昭和48年〕,モービル音楽賞(第6回)〔昭和51年〕,名誉音楽博士(ルイビル大・ロチェスター大・ニューイングランド大など),松本市名誉市民

経歴
大正10年ドイツに留学、ベルリンでカール・クリングラーに師事。昭和4年帰国後、東京の私立帝国高等音楽院教授となり、傍ら弟3人と鈴木カルテットを結成し演奏家としても活動。10年から“才能は生まれつきのものでなく、幼児からの育て方しだいで決まる”という理論のバイオリンの“才能教育”運動を始める。門下生から江藤俊哉、豊田耕児といった多くの世界的バイオリニストを出し、独特な教育法は“鈴木メソード”と呼ばれ、世界32ケ国に普及。会員は30万人を越える。戦後、長野県松本市に移住。平成8年鈴木鎮一記念館が開館。著書に「0歳からの才能教育」「愛に生きる」「幼児の能力開発」「歩いてきた道」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「鈴木鎮一」の意味・わかりやすい解説

鈴木鎮一 (すずきしんいち)
生没年:1898-1998(明治31-平成10)

音楽教育者。名古屋商業学校を卒業後,1921年から28年までベルリンに留学,バイオリンをK.クリングラーに学ぶ。帰国後,独奏者,室内楽奏者として活動ののち,35年に東京でバイオリンの才能教育に着手した。〈才能は平等。教育のやり方で誰でも伸びるようになる〉と確信したためという。46年松本市に本拠を移し,本格的にバイオリンの才能教育に取り組む。48年才能教育研究会設立。門下から豊田耕児,小林武史,小林健次らの俊秀が出たため,世間の注目を集め,全国各地に支部が設立され,ブーム現象をひきおこした。《才能教育》(1948),《歩いてきた道》(1960)などの著書があり,その理念と教育システムは,〈スズキ・メソッド〉として,アメリカ,カナダをはじめ,世界各地で普及しはじめている。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「鈴木鎮一」の意味・わかりやすい解説

鈴木鎮一
すずきしんいち
(1898―1998)

バイオリン奏者、教育者。名古屋生まれ。商業学校卒業後、父の経営するバイオリン工場に勤めたが、バイオリンを安藤こうに学んだのち、1920~28年(大正9~昭和3)にはベルリンでクリングラーに師事。帰国後、独奏者、室内楽奏者として活躍したが、彼の名は、第二次世界大戦後の46年(昭和21)から松本で始めた才能教育運動によって知られる。最初「全国幼児教育同志会」として出発したが、48年「才能教育研究会」と改め、バイオリン名曲を教材とした教則本による独自のシステムは、64年の子供たちとの訪米演奏旅行により「鈴木メソッド」として世界的に知られるに至った。53年にはA・モギレフスキーとともに帝国音楽学校を設立、校長を務めた。

[川口明子]

『『幼児の才能教育』(1969・明治図書出版)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鈴木鎮一」の解説

鈴木鎮一 すずき-しんいち

1898-1998 大正-平成時代のバイオリニスト,教育者。
明治31年10月17日生まれ。鈴木政吉の子。安藤幸(こう)に師事。大正9年からベルリンに留学,帰国後バイオリニストとして活動。また才能教育運動をおこし,江藤俊哉,豊田耕児らをそだてた。昭和23年松本市で才能教育研究会を設立し,会長。その音楽教育システム(スズキメソッド)は世界的に評価された。平成10年1月26日死去。99歳。愛知県出身。名古屋商業卒。
【格言など】すべての子供には能力があり,どの子も育つ,育て方一つ

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367日誕生日大事典 「鈴木鎮一」の解説

鈴木 鎮一 (すずき しんいち)

生年月日:1898年10月17日
大正時代;昭和時代のバイオリン教育指導者。(社)才能教育研究会会長
1998年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の鈴木鎮一の言及

【バイオリン】より

…第2次大戦以後,演奏,製作技術は急速な進歩を遂げ,バイオリンが衰退しつつあるヨーロッパに代わって,世界各国で独奏家としてまた交響楽団の一員として活躍する日本人演奏家が増大している。鈴木鎮一のバイオリン早期才能教育は海外でも注目を集め,とくにアメリカのいくつかの大学や音楽学校で実践されている。また製作面でも水準の高い楽器がアメリカなどに輸出されるようになった。…

※「鈴木鎮一」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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