鋳鉄製の仏像。中国では文献によれば563年(北斉の河清2)に鉄丈六仏が製作され,以後造像を伝える史料は多く,遺品としては唐代以後のものが知られる。宋代の遺品として山西省玄中寺にかつてあった建中靖国元年(1101)銘ほかの百数十軀の鉄仏がある。朝鮮では唐咸通6年(865)銘の江原道倒彼岸寺毘盧舎那仏像が在銘遺品の初例であり,9~12世紀を中心として30余軀がのこる。日本では建保6年(1218)銘の栃木県石川薬師堂薬師如来像が在銘像として最も古く,鎌倉~室町時代に多く製作され,東北,関東,および愛知県を中心に90余軀が現存する。日本の遺品の造像技法はおおむね,粘土で原型を作り,これを土で覆って,基本的には両体側部で前後にわけた外型を作り,外型を外した後に外型よりひとまわり小さい中型を作って両者を組み合わせ,その隙間に溶鉄を流し込んで鋳造する,いわゆる割込(わりこめ)鋳造によったものと考えられている。小像では中型を用いずに鋳造した無垢(むく)のものもある。金銅仏に用いられた蠟型鋳造技法は鉄仏の場合には用いられていない。鉄は銅よりも硬く,鋳造後の鏨(たがね)による仕上げは困難であり,鋳造時の〈ばり〉や,笄(こうがい)を残している例も多い。当初は漆箔や彩色を施していたらしい。中国,朝鮮の鉄仏もほぼこれと同様の技法によって製作されたと思われるが,それらが日本に与えた具体的影響についてはよく解明されていない。鉄仏は銅よりもさらに堅牢で鋳肌も粗豪である。この特色と遺品が東日本に偏在することを考え合わせて,鎌倉時代以後東国の武士階級に好まれた一地方様式とする説がある。ただし作風は多くその時代の木彫像に準じている。おもな遺品として,愛知県長光寺地蔵菩薩像(文暦2年(1235)銘),群馬県善勝寺阿弥陀如来像(仁治4年(1243)銘)などがある。
執筆者:副島 弘道
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
鉄製鋳造の仏像。中国ではすでに六朝(りくちょう)時代(6世紀)に鉄丈六仏(じょうろくぶつ)がつくられた記録があり、隋(ずい)・唐期以降も各時代にわたってつくられたが、宋(そう)代にもっとも盛行した。これは、中国の産銅量が輸出を含む需要に及ばなかったため、厳しい禁銅令が施行された結果とみられる。朝鮮でも新羅(しらぎ)時代の末から高麗(こうらい)時代にかけて流行したが、これも銅の産出が乏しかったことによる。
日本では平安末ないし鎌倉初頭ごろから遺品がみられ、鎌倉・室町期に多く、全国で90体ほどが確認されるが、その90%までが中部地方以東の東日本に集中しており、日本で鉄仏が流行した理由は銅の不足や中国の影響というより、東国の武将たちの鉄に対する一種の信仰のようなものに発すると思われる。神奈川県覚園(かくおん)寺の不動明王坐像(ざぞう)(13世紀初)、栃木県鹿沼(かぬま)市上石川薬師堂の薬師如来(にょらい)坐像(1218)、愛知県法蔵寺の地蔵菩薩(ぼさつ)立像(1230)、同長光寺の地蔵菩薩立像(1235)などは各地の古い作例である。
[佐藤昭夫]
『佐藤昭夫著『鉄仏』(1979・小学館)』
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[彫刻]
仏像に優れた作品が多く,鉄造,銅造,石造,塑造,木造乾漆造など多彩な素材を用いたが,鉄造,銅造,石造に優品がある。とくに,鉄仏は,新羅時代末期の造形感覚を保ちながら新しい様式を志向し,かつモニュメンタルな大きさを誇る作例が現存する。たとえば,韓国国立中央博物館蔵の旧景福宮所在の半丈六の鉄造釈迦如来座像と元京畿道広州郡東部面下司倉里所在の丈六鉄造釈迦如来座像には,新羅の古典美を意識した造形感覚が認められる。…
※「鉄仏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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