日本古代の職業部の一つ。鏡の製作に従事した。伴造(とものみやつこ)は683年(天武12)に連(むらじ)姓を与えられた鏡作造で,その本拠は《和名抄》にみえる大和国城下郡鏡作郷であろう。ここには《延喜式》神名帳の〈鏡作坐天照御魂神社〉が鎮座し,鏡作氏の祖神石凝姥(いしこりどめ)命等が奉斎されている。石凝姥命は記紀神話の中で天照大神が天の岩屋戸に隠れたとき,鏡を造ったとされ,天孫降臨神話では天孫に随従する〈五部神〉の一人とされている。祭祀の調度としての鏡の製作を通して中臣,忌部氏等とともに朝廷の神事にかかわったことの反映が神話に鏡作氏の名をとどめさせたのであろう。しかし鏡製作は日本固有の技術ではなく,弥生時代のころ,大陸から伝来したもので,これらの人々の技術を朝廷が組織して鏡作部としたのである。外来技術であるにもかかわらず,神話に組み込まれるなど,渡来系の伝承を欠くのは,その渡来時期が部民化の時点よりかなり古いことによるのであろう。
執筆者:新井 喜久夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
古代において鏡の製作に従事した工人集団の称。彼らの統率者(伴造(とものみやつこ))を鏡作造(のち連(むらじ))といい、天抜戸命(あまのぬかとのみこと)の子石凝姥命(いしこりどめのみこと)の後裔(こうえい)と伝える。石凝姥は皇位の象徴である神鏡を製作し、また天孫降臨に随従した神といわれる。大和(やまと)国城下(しきのしも)郡(奈良県磯城(しき)郡田原本(たわらもと)町)の鏡作坐天照御魂(かがみつくりにいますあまてるみたま)神社は鏡作造の氏神を祭る。大化(たいか)(645~650)以後鏡作部の技術はしだいに一般化し、律令(りつりょう)制のもとではその仕事は雑工戸(ざっこうこ)が担当することとなった。
[黛 弘道]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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