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長宗我部盛親 ちょうそかべもりちか

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

長宗我部盛親
ちょうそかべもりちか

[生]天正3(1575).土佐
[没]慶長20(1615).5.15. 京都
安土桃山時代の武将。元親の4男。父の没後家督を継いで土佐を支配。関ヶ原の戦いでは豊臣方に属し,決戦に参加せず帰国したが,所領没収され京都上立売に蟄居大坂の陣で豊臣方に属して捕えられ,六条河原で斬首された。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

長宗我部盛親 ちょうそかべ-もりちか

1575-1615 織豊-江戸時代前期の武将。
天正(てんしょう)3年生まれ。長宗我部元親の4男。慶長4年家督をつぐ。関ケ原の戦いでは西軍に属し,徳川家康に土佐(高知県)の領地を没収された。大坂冬の陣のとき豊臣秀頼にまねかれて大坂城にはいる。夏の陣で敗れて捕らえられ慶長20年5月15日京都六条河原できられた。41歳。通称は右衛門太郎,新右衛門。

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朝日日本歴史人物事典の解説

長宗我部盛親

没年:元和1.5.15(1615.6.11)
生年:天正3(1575)
安土桃山時代の武将。土佐国(高知県)を領す。元親の4男。母は斎藤氏。幼名千熊丸。右衛門太郎,土佐守。長岡郡岡豊城に生まれる。天正14(1586)年後嗣に決定。豊臣秀吉の小田原攻め,朝鮮出兵に参加。慶長2(1597)年3月,元親と連署で掟書を発布している。同4年,元親の死により家督を継承し,長浜の慶雲寺を菩提寺とし,元親の法号にちなんでこれを雪蹊寺と改称した。同5年の関ケ原の戦では石田三成方の西軍に属したが,敗色が濃厚になると戦わずして帰国。戦後,領国を没収された。その後,同19年に豊臣秀頼の招きで大坂冬の陣に参陣するまでは,大岩祐夢の名で京都において寺子屋の師匠として生活。元和1(1615)年,夏の陣に出陣し敗走。大坂落城後,山城国で捕らえられ,京を引き回されたのち六条河原で斬殺された。墓所は京都五条寺町の蓮光寺。<参考文献>寺石正路『長宗我部盛親』

(長谷川弘道)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

ちょうそがべもりちか【長宗我部盛親】

1575‐1615(天正3‐元和1)
織豊時代の大名。幼名千熊丸。通称右衛門太郎。土佐守。元親の四男。1586年(天正14)長兄信親の戦死後,家督と定められ,小田原征伐文禄・慶長の役には父元親とともに従軍。97年(慶長2)3月には元親と連名分国法として著名な《長宗我部元親百箇条》を発布し,その前年11月には盛親名で,近習と中間・小者の勤務言動に関する掟2編を制定している。99年家を継ぐ。関ヶ原の戦では西軍に属し美濃南宮山に陣したが戦わずして帰国。

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大辞林 第三版の解説

ちょうそかべもりちか【長宗我部盛親】

1575~1615) 安土桃山・江戸初期の武将。元親の三男。関ヶ原の戦いで西軍に属し、戦後領国を没収される。大坂冬・夏の陣では豊臣方についたが敗れ、六条河原で斬られた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

長宗我部盛親
ちょうそがべもりちか
(1575―1615)

安土(あづち)桃山時代の大名。土佐守(とさのかみ)。元親(もとちか)の四男で、土佐国長岡郡岡豊(おこう)(高知県南国(なんこく)市)に生まれる。幼名千熊丸(ちくままる)。右衛門(うえもん)太郎。兄信親(のぶちか)の戦死により後嗣(こうし)と決定、1599年(慶長4)元親の没後、家督を継ぎ土佐一国を領した。小田原征伐、文禄(ぶんろく)・慶長(けいちょう)の役に従軍し、関ヶ原の戦いで敗れ、帰国後、井伊直政(いいなおまさ)を通じて徳川家康にわびた。しかし実兄の津野親忠(ちかただ)を殺したため家康の怒りに触れ領国を没収された。
 上洛(じょうらく)後、上立売(かみたちうり)の柳ヶ厨子(ずし)(京都市上京(かみぎょう)区)に屏居(へいきょ)し大岩祐夢(たいがんゆうむ)と号し、寺子屋の師匠をして14年を過ごした。大坂冬の陣に大坂へ入城、夏の陣で八尾(やお)方面に出陣して藤堂高虎(とうどうたかとら)と戦ったが、井伊直孝(なおたか)の軍に側面をつかれて敗走した。大坂落城後、蜂須賀(はちすか)の家臣のために捕らえられ、慶長(けいちょう)20年5月15日京都六条河原で斬(き)られた。法号は源翁宗本(げんおうそうほん)。京都五条寺町連光寺(下京区)に葬られる。長宗我部氏は盛親を最後に滅亡した。[山本 大]
『山本大著『長宗我部元親』(1960・吉川弘文館)』

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世界大百科事典内の長宗我部盛親の言及

【長宗我部氏】より

…中世土佐国の豪族。《和名抄》の長岡郡〈宗部〉郷(訓は〈曾我倍〉)の地名を氏としたものであろう(香美郡に住んだ宗我氏を香宗我部氏という)。家譜,軍記物は始祖を秦河勝とするがもとより不明。ただ1554年(天文23)の棟札に〈秦国親〉とあり,戦国期には秦氏を自称している。家紋は鳩酢草。 土佐長宗我部氏の初代は能俊で,延久(1069‐74)あるいは承久(1219‐22)ころに信濃より入国したとされるが不明。…

※「長宗我部盛親」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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