戦国期の城。愛知県新城(しんしろ)市長篠市場にある。城は1508年(永正5)設楽(したら)地方のいわゆる山家三方(やまがさんぼう)衆の1人菅沼元成(すがぬまもとなり)によって築かれた。1560年(永禄3)今川義元(よしもと)の敗死により武田氏に属したが、73年(天正1)徳川家康の攻略により家康の臣奥平信昌(おくだいらのぶまさ)が城主となり、まもなく武田勝頼(かつより)との間に攻防戦が起こった。1575年のことで、これが長篠の戦いの前哨(ぜんしょう)戦となったのである。城の築かれた場所は寒狭(かんさ)川と三輪(みわ)川が合流して豊川(とよがわ)となるあたりで、天然の地形を利用した要害の城であった。
[小和田哲男]
出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
…1575年(天正3)5月21日に織田信長,徳川家康の連合軍が武田勝頼の軍を三河の設楽原(したらがはら)(現,愛知県新城市)で破った合戦。武田信玄の没後,家康が長篠城を取り返したので,勝頼は前年に遠江高天神(たかてんじん)城を陥れた勢いに乗り,75年4月21日約1万(兵員数には諸説がある)の軍勢で長篠城を囲んだ。5月15日鳥居強右衛門(すねえもん)を使者にしての城主奥平信昌の請いにより,勝頼軍の約3倍の兵員で家康,信長の連合軍が救援におもむき,長篠城の西約2kmの設楽原で連吾川を前にして三重の馬防柵を築き,3000挺の鉄砲を配備して武田勢を待った。…
※「長篠城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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