日本古代の銭貨。古代唯一の金銭。760年(天平宝字4)3月の勅(《続日本紀》)によって,銀銭大平元宝,銅銭万年通宝とともに発行が命ぜられた。その法定価値は,開基勝宝1枚が大平元宝10枚に相当し,大平元宝1枚が万年通宝10枚に,万年通宝1枚が和同開珎10枚に相当するものと定められた。大平元宝とともに流通に関する史料はなく,貨幣としては用いられなかったと考えられる。その現物は,1794年(寛政6)西大寺の西塔址から1枚発見されたが,長く真偽の評価が定まらなかった。その後1937年(昭和12)に奈良市西大寺町字畑山(平城京北辺4坊内で,藤原武智麻呂の別荘の習宜別業(すげのべつぎよう)推定地の近隣にあたる)から一挙に31枚が発見された。これは金板,金塊,〈賈行〉の文字のある銀円板片などとともに出土した。これにより大平元宝とともに開基勝宝の実在が現物によって確認された。両者とも現在東京国立博物館所蔵。
執筆者:栄原 永遠男
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…奈良時代にはこのほか,日本ではじめて和同開珎などの貨幣が鋳造された。これらは惣型鋳造によるもので,このうちの開基勝宝は金貨幣である。
[金工の和様化]
平安初期に,空海ら入唐僧によって中国から密教法具が請来され,密教の隆盛とともに形式が確立し,これ以後盛んに製作された。…
…日本において銭貨の交換割合がはじめて定められたのは721年(養老5)1月で,銀貨の和同開珎1枚をもって銅貨の和同開珎25枚(文)に相当することとした。ついで760年(天平宝字4)発行の金貨開基勝宝は1枚をもって同年発行の太平元宝(銀貨)10枚,また太平元宝1枚は同年発行の万年通宝(銅貨)10枚に相当するという交換割合が規定された。江戸時代に入って,幕府は1608年(慶長13)12月,永楽銭1貫文=鐚銭(びたせん)4貫文=金1両とし,翌年には金銀銭貨の比価を金1両=銀50匁=永楽銭1貫文=京銭(鐚銭と同義語)4貫文とした。…
※「開基勝宝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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