この呼称は,〈海賊〉なるものが日本にも出没し始めた10世紀前後(平安中期)から用いられていたと思われる。瀬戸内や豊後水道など海路の要衝をおさえた彼らは,航行する一般船舶から〈関銭(せきせん)〉,すなわち通航料を徴収して航路の保障と住民の保護に任じていたことは周知のとおりであるが,そのために用いられた船がこの名の起りであろう。以後,関船の実体は,時代とともに3度大きく変遷する。
まず第1期は14世紀末の南北朝時代のころまでであり,関船独自の船型はまだ存在せず,一般の漁船など小型船のうち船足の速い軽快なものを徴用していたようである。第2期は15~16世紀の室町末期,いわゆる戦国時代で,ようやく,専用軍船としての関船が登場する。このころ初めて現れるとがった船首材(ミヨシ)を備え,青竹のすだれなどで軽量の防備を施した本格的中型構造船であり,水軍船隊の巡洋艦的役割を果たす。第3期は江戸時代であり,泰平の世となるや幕命により即刻没収焼却された主力艦安宅船(あたけぷね)とは異なり,依然保有を許された巡洋艦関船は,惣漆(そううるし),金泥(きんでい),金金具(きんかなぐ)などで美々しく装われ,将軍,大名の海上巡幸や参勤交代時の専用御召船,すなわち〈御座船(ござぶね)〉へと,華麗なる変身を遂げる。なお,関船は早船(はやふね)(小型のものは小早(こばや))とも呼ばれる。
執筆者:小佐田 哲男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…現存史料による限り,〈百済船(くだらぶね)〉〈唐船(からふね)〉〈宋船〉〈暹羅船(シヤムせん)〉〈南蛮船〉などの対語としての〈倭船〉ないし〈和船〉なる文字は,少なくとも幕末前には見当たらない。では,日本の船のことは何と記しているかというと,〈遣唐使船〉〈遣明船〉〈朱印船〉〈安宅船(あたけぶね)〉,〈関船(せきぶね)〉(のち船型呼称となる),〈御座船〉〈荷船〉〈樽廻船〉〈くらわんか舟〉など用途による名称,〈茶屋船〉〈末吉船〉〈末次船〉〈荒木船〉など所有者名を冠するもの,〈伊勢船〉〈北国船(ほつこくぶね)〉〈北前船(きたまえぶね)〉〈高瀬舟〉など,地名を冠してはいるが実は船型を表すもの,〈二形船(ふたなりぶね)〉,〈ベザイ船〉(弁財船とも書かれる),〈菱垣廻船〉〈早船(小型のものは小早(こばや))〉など船型や艤装(ぎそう)を指す呼称,〈千石船〉(ベザイ船の俗称),〈三十石船〉など本来船の大きさ(積石数(つみこくすう)。現用の載貨重量トン)を表した呼称が船型名称のごとく使われるようになったものなど,個々の船種船型名称が記されているのが一般である。…
※「関船」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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