デジタル大辞泉
「櫓」の意味・読み・例文・類語
や‐ぐら【×櫓/矢倉】
1 武器を入れておく倉庫。矢の倉。兵庫。
2 城門や城壁の上につくった一段高い建物。敵状の偵察や射撃のための高楼。
3
㋐木材や鉄骨などを用いて組み立てた高い構築物。「火の見―」
㋑祭礼・盆踊りなどで、一段高くつくって太鼓や笛を演奏したり、歌をうたったりする構造物。
㋒歌舞伎・人形浄瑠璃などの劇場で、官許の標識として正面入り口の上に造られた構造物。三方に幕を張り、5本の毛槍を横たえ、梵天を立てる。
㋓相撲場で、太鼓を打つための高い場所。
4 炬燵の、布団を掛けるための四角い枠。炬燵櫓。
5 戦国時代から近世の軍船に敷設された展望台。大船は船首・中央・船尾の3か所に設けた。安宅船や関船などの大型軍船は総櫓といい、船首から船尾まで通す独特の形式に発達した。また、荷船で船体後半に設ける屋形のこと。
6 「櫓投げ」の略。
7 「矢倉囲い」の略。
[類語](2)(3)(5)望楼・物見やぐら・火の見やぐら・灯台
ろ【×櫓/×艪】
和船をこぎ進める用具の一。ふつう水をかく脚部と手で握る腕部とを、への字形に継いである。脚部にあけた入れ子の穴を、船尾に取り付けた櫓杭にはめて支点とし、腕部につけた櫓杆とよぶ突起と船床とを早緒で結び、押し引きして水をかき、推進させる。「―をこぐ」
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や‐ぐら【櫓・矢倉】
- [ 1 ] 〘 名詞 〙 ( 矢を納める倉の意から )
- ① 武器を納めておく倉。つわものぐら。兵庫。
- [初出の実例]「兵庫(やクラ)を起造(つく)りて、国郡の刀(たち)甲(よろひ)弓矢を収め聚め」(出典:日本書紀(720)大化元年八月(北野本訓))
- ② 城壁などの上に造った建物で、諸方を展望して偵察したり、矢や弾丸を発射して防戦の用としたりしたもの。〔大智度論天安二年点(858)〕
櫓[ 一 ]②〈一遍聖絵〉
- [初出の実例]「吉野悉没落、全分無レ人、矢倉少々相残」(出典:園太暦‐貞和四年(1348)二月三日)
- ③ 材木や鉄材などを組み合わせて高く造った構築物。祭礼・盆踊りで、太鼓や笛を演奏したり、歌をうたったりする構造物など。「火の見櫓」
- ④ 室町時代以降、軍船の上に設けられた展望および攻防を兼ねた高い構築物。大船は船首・中央・船尾の三か所に設けた。戦国時代に発達した安宅船(あたけぶね)や関船などの大型軍船は総やぐらという、船首から船尾まで通す独特の形式に発達した。また、近世の荷船でも船体後半に設ける屋形を矢倉(櫓)と呼び、船尾の手造(てづくり)を艫矢倉とか船頭矢倉という。ふなやぐら。
- [初出の実例]「舟の長さ三十間、〈略〉艫舳に矢蔵を上げ」(出典:信長公記(1598)六)
- ⑤ 江戸時代、劇場の正面入り口の上に造った構築物の一つ。初めは官許を得た印として設け、次第に客寄せのための場所となり、後には全く形式的なものになった。三方に櫓幕を張り、正面には劇場の紋、左右には座元の姓名などを染めた。転じて、劇場の意に用いた。
- [初出の実例]「舞台の軒ばに玉をつらね〈略〉やぐらのまくに梅のかほなして」(出典:評判記・役者評判蚰蜒(1674)ゑびすや座惣論)
- ⑥ 相撲場で高く造った建築物。相撲の始終をしらせる太鼓を打つ場所。
- [初出の実例]「響く櫓のとうからと打ち仕舞うたる太鼓より」(出典:浄瑠璃・関取千両幟(1767)二)
- ⑦ こたつに用いる木組みのわく。上にふとんを掛けて用いる。こたつやぐら。
- [初出の実例]「身を投るやうに合せの絵を捨て〈轍士〉 櫓のゆがむ炬燵寒けし〈仙華〉」(出典:俳諧・七車集(1694か))
- ⑧ 馬の鞍の左右につけるもので、こたつやぐらを仰向けにしたようなもの。多く子どもを乗せるが、おとなが乗って荷物を中央につけることもある。
- [初出の実例]「伴頭はやぐらへ乗って来た男」(出典:雑俳・柳多留‐七(1772))
- ⑨ 「やぐらおとし(櫓落)①」の略。
- [初出の実例]「今の長柄と云ふは古の矢倉落しなり。古の矢倉は今の矢倉に比すれば甚だ疎略なるものなり」(出典:武家拾要記)
- ⑩ 「やぐらなげ(櫓投)」または「やぐらだし(櫓出)」の略。
- [初出の実例]「やぐらにかけてはりま投げ、上ぐる団扇や扇の芝に、はや三番の勝相撲」(出典:浄瑠璃・雪女五枚羽子板(1708)下)
- ⑪ 将棋で、櫓囲いをいう。また、その戦法。
- [初出の実例]「煙花を将棊の局面に設娼妓の駒下踏の往来を観るに、〈略〉堅心の石田も崩れ。櫓(ヤグラ)に囲とも忽破る可恐」(出典:洒落本・娼妓絹籭(1791)自序)
- [ 2 ] 「やぐらした(櫓下)[ 二 ]」の略。
- [初出の実例]「根津・音羽はいふに及ばず。氷川から補裙・楼(ヤグラ)」(出典:浄瑠璃・神霊矢口渡(1770)四)
ろ【櫓・艪・艣】
- 〘 名詞 〙 船を漕ぎ進める道具の一つ。奈良時代に中国から導入され、それまでの櫂(かい)に代わって広く普及した。中世末期までは一木造りの棹櫓(さおろ)を使用したが、近世以後は櫓腕と櫓羽の二材をつないでつくる継櫓(つぎろ)が発達した。櫓杭(ろぐい)を支点として、押す時も引く時も推進力を生じる方式は、流体力学的にも効率がよく、船の推進具として櫂よりすぐれる。櫓羽には樫の木、櫓腕には椎の木を用いる。〔十巻本和名抄(934頃)〕
- [初出の実例]「ろといふもの押して、歌をいみじう謡ひたるは、いとをかしう」(出典:枕草子(10C終)三〇六)
- [その他の文献]〔呉志‐呂蒙伝〕
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櫓 (やぐら)
一般には材木を組み上げた高い足代のことをいう。矢倉とも書き,《日本書紀》大化1年(645)条に〈兵庫(やぐら)を起造りて,国郡の刀(たち)甲(よろい)弓矢を収め聚め〉とあり,これは矢倉すなわち武器庫の意味であろう。また《続日本紀》宝亀8年(777)条に,恵美押勝の邸宅に櫓を設けた記事がある。鎌倉時代の《一遍聖絵》には,武士の館の門上に櫓がみられ,城や館の門の上や塀の内側につくり,外側を盾板で囲い,敵を監視したり攻撃するのに使われたことがわかる。また,とくに塔のように高い櫓を井楼(せいろう)という。これは室町時代に明と貿易し,かの地の戦法に詳しかった山口の大内氏がはじめて用いたといわれる。応仁の乱のときに山名宗全が西陣に建てた大井楼は幅4間,高さ7丈(21m余)で,細川方が相国寺近くに建てたものは高さ10丈(30m余)以上もあった。戦国時代には建築としての櫓ができ,屋敷の築地塀の上につくられる小さなものから,城主の居処とされる二階建ての大きなものまであった。永禄年間(1558-70)に松永久秀が築いた奈良多聞山城では,四階櫓がつくられ,また石垣上に兵舎を兼ねた平屋建て長屋式の櫓も建てられた。これは防火を考慮した白漆喰塗籠(しろしつくいぬりごめ)の建築であった。この形式の櫓が近世城郭に受け継がれ,長屋式の櫓は多聞櫓とよばれた。
→天守
執筆者:宮上 茂隆
芝居の櫓
城郭建築の高楼から転じて,歌舞伎や人形浄瑠璃の劇場において,正面出入口の上にのせた構造物をいう。炬燵(こたつ)櫓のような形で屋根はなく,大きさは江戸中期には9尺四方(歌舞伎)と7尺四方(人形浄瑠璃)とにほぼ定まっていた。櫓には座元の紋を染め出した〈櫓幕〉が引きめぐらされており,江戸初期の形式には,上に梵天(ぼんてん)(幣束)をたて,毛槍を5本並べたものが多い。梵天をたてることは,櫓が元来神を勧請するために天へ向けて高く構築されたものであったことを示しているといえる。櫓の中では〈櫓太鼓〉を打って,興行のあることを知らせた。そのことから〈太鼓櫓〉ともいった。江戸の歌舞伎の櫓太鼓は文化期(1804-18)以後ほとんど廃されたが,相撲興行では今日なお行われている。
また,櫓は官許の興行権所有のしるしとして重要な意味を持っていた。そこで,興行権を与えることを〈櫓を許す〉,興行を開始することを〈櫓を上げる〉といい,興行権を〈櫓権〉,興行権の所有者の座元のことを〈櫓主〉と呼んだ。江戸の歌舞伎の興行権は,1714年(正徳4)以後,中村座,市村座,森田座の〈江戸三座〉の座元に限って与えられる世襲の特権であった。この三座が興行不能に陥った場合には,代わって興行する〈控櫓〉の制度が設けられていた。34年(享保19)に森田座が借財のため休座するに至ったため,その休座中に限り河原崎座に興行代行の許可がおりたのが始まりで,中村座には都座と玉川座,市村座には桐座,森田座には河原崎座が控櫓と定まったのである。この控櫓(〈仮櫓〉ともいう)に対して江戸三座を〈本櫓〉(〈元櫓〉ともいう)と呼んだ。官許の常設劇場以外の宮地芝居を〈笹櫓〉と呼んだ。櫓の下に掲げた看板は〈櫓下看板〉といい,人形浄瑠璃でもここに一座を代表する芸人の名を記した〈櫓下看板〉を掲げた。
→座元
執筆者:三浦 広子
櫓 (ろ)
和船に使われる人力による推進用器具。櫓の構造は図のように櫓脚と櫓腕からなり,櫓脚には入子(いれこ)が,櫓腕には櫓柄がついている。舟側につけた櫓べそに入子をはめ,ここを支点にして櫓を操る。こぎ手は横向きになり櫓腕を前後に動かすが,このとき押すときと引くときで手首をかえし,水の中の櫓脚の角度を図の右上方に示すようにすると,飛行機の翼と同じ原理で揚力が発生し,その方向は押すときも引くときも前下方へ向く。この揚力の前方への成分が舟の推進力となる。下向きの成分は櫓べそで受ける。櫓腕には上向きの力がかかるので,櫓柄を綱で舟の床につなぎ,こぎやすいようにしている。櫓脚が水中へ入る角度をあまり小さくすると下向きの力ばかり大きくなり,また角度をあまり大きくすると重くなってこぎにくい。うまく操ることによって旋回することもできる。櫓の長さは,腕が1.5~2.1m,脚が4.2~5.5mで幅は13~15cmである。材料は木が使われる。
執筆者:加藤 洋治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
普及版 字通
「櫓」の読み・字形・画数・意味
櫓
人名用漢字 19画
(異体字)
15画
[字音] ロ
[字訓] たて・やぐら
[説文解字]
[字形] 形声
声符は魯(ろ)。〔説文〕六上に「大きなる盾(たて)なり」とし、重文としてを録する。〔左伝、襄十年〕「大車の輪をて、之れに(かうむ)らしむるに甲を以てし、以て櫓と爲す」とあり、大きな楯をいう。天子出行の列を鹵簿(ろぼ)といい、鹵は櫓の意。また(ろ)と通用し、櫓櫂(ろとう)の意とする。
[訓義]
1. たて、おおだて。
2. やぐら、ものみやぐら、やぐら車。
3. 舟のろ。
[古辞書の訓]
〔和名抄〕櫓 夜良(やぐら)〔名義抄〕櫓 ヤグラ・コシキ・カシ/ タテ
[熟語]
櫓楫▶・櫓楯▶・櫓▶・櫓声▶・櫓棹▶
[下接語]
干櫓・楯櫓・衝櫓・矛櫓・望櫓・楼櫓
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
櫓(ろ)
ろ
和船(わせん)における漕具(そうぐ)の一つ。原則的に船の後部左舷(さげん)に固定した突起物(櫓杭(ろぐい))を、櫓の側にあるその受け入れ凹部(入子(いれこ))に差し込んで櫓の支点とする。この入子から下部を櫓下(ろした)または櫓べらといい、水中にあって水を切り推進役を担当する。入子から上部が用材を継ぎ足した形となる。この接合部を鉸(つがい)または違(たがえ)といい、ここから上部を櫓腕(ろうで)という。その先端部近くに綱(早緒(はやお))によって船体とつなぐための突起(櫓杆(ろづく)または櫓柄(ろづか))があり、漕(こ)ぐために手で握る場所にもなる。ただし、櫓柄については櫓杆から上部の櫓腕の先端部をいう場合もあり、櫓杭や入子を櫓臍(ろべそ)という場合もあって、名称にはあいまいなところがある。
櫓はもともと櫂(かい)を練って前進力を得る練り櫂から変化・発達したものである。原理的にはスクリュープロペラと同様で、推進効率がよい。初期(平安時代)は1本の木材でつくった棹櫓(さおろ)であったが、江戸時代初期ごろから櫓腕と櫓下をツガイによってつなぎ、「へ」の字に曲げた形の継櫓(つぎろ)または屈櫓(こごみろ)に変わり、漕ぎやすくなったものである。
[茂在寅男]
櫓(やぐら)
やぐら
一般に材木を高く組み上げた構築物をいう。古代では矢を納める倉の意から武器庫をさしたが、平安時代には屋敷の門の上に防備のため床を張り垣楯(かいだて)で囲み、弓箭(きゅうせん)の場と敵襲に対する望楼を兼ねたものを櫓とよんだ。近世城郭では防備のための建物を櫓と総称し、隅(すみ)櫓、渡(わたり)櫓、多聞(たもん)櫓など目的により名前を変えている。これは平安時代以来、城壁などの上に防戦と望楼を兼ねてつくった構築物を櫓とよんだのに由来する。のちに屋根の上に高く組み立てられた構築物を櫓とよぶようになり、民家の土間上の煙出しの櫓や、芝居や相撲(すもう)小屋正面の太鼓櫓、また火災の望楼としての火の見櫓などはこの例である。
[工藤圭章]
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櫓【やぐら】
中世城郭中に設けられた高楼。転じて歌舞伎や人形浄瑠璃の劇場で,正面入口の上に設ける方形の構造物をいう。座元の紋を染めた幕を張り,中で櫓太鼓と称する太鼓を打ち,開閉場を知らせる。江戸時代には,櫓が官許のしるしで,公認によって劇場を開くことを〈櫓をあげる〉といい,座元を櫓主,興行権を櫓権と呼んだ。現在ではほとんど絶えたが,一部の劇場では櫓を常備または仮設するところもある。なお相撲の場合は宝暦・明和ごろから小屋近くに高い足場を組んで櫓を建てるようになった。
→関連項目丸岡城|武者窓
櫓【ろ】
艪とも書く。和船の人力推進用具。現在使われているものは櫓腕(ろうで)と櫓脚(ろあし)の二材からなり腕に柄が,脚の上部に入れ子がある。船尾の櫓床にある櫓べそに入れ子をはめ,櫓床と柄を綱で結んだまま腕と柄を握って前後に動かす。水中の脚に働く水の前方への分力で船は前に進む。櫓の操作により操舵(そうだ)もできる。
→関連項目オール
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櫓
やぐら
(1) 武家の屋敷や城郭の要所に設けられた,監視あるいは司令所で,戦闘に必要な武器庫でもあった。 (2) 転じて江戸時代の劇場正面に高く設けられた炬燵 (こたつ) 櫓のような構造物。興行の官許の印として劇場に設けられた。官許を得て興行を始めることを「櫓をあげる」といった。櫓には五奉行をかたどった5本の毛槍を横たえ大幣束を立て,興行主の紋を染め抜いた幕を張りめぐらした。開閉場を知らせる太鼓をこの上で打鳴らしたが,これを櫓太鼓といい,相撲興行でも用いられる。
櫓
ろ
艪とも書く。和船に付属する人力用の推進用具。腕部と脚部の接続した長さ5~6mの木製で,腕部には柄 (つか) をつけ,脚部には入子をつけ,船側や船尾にある櫓臍に入子をはめ,柄は綱で船床につなぐ。腕部を前方に押し,手元に引くと,脚部は水中で螺旋推進器のような作用をして船を進める。櫓は推進具であるとともに,舵の役割も果す。使用する櫓の数は,その船の大きさによって異なる。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
櫓
やぐら
矢倉とも。(1)古代に武器を納めた倉。(2)屋敷や城郭のまわりを高い場所から展望するために造った建築物。中世の絵巻には4本柱の上に板床を設け,板壁をめぐらした櫓(ろ)がある。近世の城郭になると,瓦葺(かわらぶき)で土壁を塗りこめた1~4階建の櫓が城壁の隅などに造られ,倉や防御施設として利用された。防火や美観を考えた白漆喰塗籠(しろしっくいぬりごめ)造が多い。(3)四方を展望するため,あるいは四周からの注目を集めるために,材木などを組み合わせて造った一段高い建築物。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
世界大百科事典(旧版)内の櫓の言及
【歌舞伎】より
…屋根の付いた[桟敷](さじき)が発生すると,これに対する見物席の称として用いられたが,やがて劇場全体を指し,さらにはそこで演じられる演劇自体をも〈芝居〉と呼ぶに至ったのである。最初,周囲は竹矢来を組んだ上に莚(むしろ)をかけた虎落(もがり)で囲み,中央に高く櫓を構え,その下に鼠木戸(〈鼠戸〉とも)という狭い出入口を2ヵ所設けただけの簡単なものであった。やがて,囲みは板囲いに変わり,舞台は方2間(約3.6m)から方3間に広がったうえ,付舞台が生まれて,しだいに広くなっていった。…
【興行】より
… 江戸時代に入ると歌舞伎や人形浄瑠璃の興行は,江戸でも上方でも共通に幕府から興行権を与えられたもののみが行うことができるというきびしい仕組であった。江戸を例にすると[宮地芝居]を別として,歌舞伎では1714年(正徳4)9月以降幕末まで中村座の中村勘三郎,市村座の市村羽左衛門,森田座の森田勘弥の3人の座元に限って,歌舞伎を興行する権利が官許され,興行権の象徴である〈[櫓](やぐら)〉をあげることができた。この3座を〈江戸三座〉と呼んでいる。…
【小芝居】より
…江戸時代,官許以外の劇場は,はじめ,あちこちに散在したものが,だんだん制約を受け寺社の境内に限られるようになったので[宮地芝居]と呼ばれ,またその場合興行日数を100日に限って許されたので百日芝居ともいった。これらの小芝居は興行地,日数のみならず,[櫓]は許されず,回り舞台や引幕も許されなかった。引幕が使えないので緞帳(どんちよう)を使っていたために緞帳芝居の称もある。…
【城】より
…これに比べ怡土城は山頂から北西と南西に降る尾根に数ヵ所の楼を築き,平地にのぞむ正面を石垣で築いた三角形の城で,防御より遠征軍の基地の威容を示す意図が強い。 東北地方の城柵は築地塀や柵木をめぐらし,一定の間隔で塀や柵上に櫓(やぐら)を構えるが,門は八脚門で,中心部に正殿と脇殿を配した政庁的な内郭をもち,防御拠点よりも国府と同じ行政的機能を重視したものといえる。8世紀の陸奥の[多賀城],それをとりまく桃生(ものう)城,伊治城,玉造柵などや,出羽の秋田城は丘陵に立地する平山城であり,9世紀の[胆沢(いさわ)城],志波城は北に川をみる台地上での平城,徳丹(とくたん)城,城輪柵遺跡はまったくの平城で,払田(ほつた)柵遺跡では中央政庁を小丘に築き平地に[柵]をめぐらしている(図)。…
【名代】より
…江戸時代,歌舞伎,人形浄瑠璃などの興行権を所有した名義人。櫓主(やぐらぬし)ともいう。これらの興行では,その創始期に公儀へ願い出て許可を得た者の名義が登録され,以後この名義で櫓を上げ興行することができた。…
【櫓太鼓】より
…相撲興行などがあるとき,客寄せのために櫓をたて,その上で打つ太鼓のこと。慶長期(1596‐1615)の絵画に,相撲,能,歌舞伎興行のとき,興行場の木戸口の上に櫓をたてているのが見えるが,江戸時代初期には,櫓は公許興行のあかしとして設けられ,興行することを〈やぐらをあげる〉ともいった。…
※「櫓」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」