精神分析の中心概念の一つ。不安によって人格の統合性を維持することが困難な事態に直面したとき、自我egoはその崩壊を防ぐためにさまざまな努力を無意識のうちに行うが、このような自我の働きを防衛機制という。自我を脅かすものとしては、一方にはその個人を取り巻く外界の厳しい現実社会があり、他方には自分の内部のエスes(イドidともいう)や超自我super-egoがある。すなわち自我は、快感原則に従って衝動を一方的に満足させようとするエスや、道徳的な禁止を命ずる超自我などによっても脅かされる。自我は、こうした外的現実や内界のエスならびに超自我の三者間の葛藤(かっとう)による不安や苦痛や罪悪感などから自身を守り、人格の統一性を保持しようとするのである。以下、自我による防衛機制の主要なものを取り上げる。(1)抑圧repression 容認しがたい思考、観念、感情、衝動、記憶などを意識から排除し、無意識へ追いやる自我の働きをいう。たとえば「思い出せない」「わからない」という事態はこの機制による。防衛機制の基盤をなしているのが、この「抑圧」である。(2)反動形成reaction formation 抑圧している欲望や衝動と正反対の態度や行動をとること。たとえば、強い性的関心が極度の性的蔑視(べっし)や無関心の態度として現れている場合である。(3)投影(投射)projection 自分が他人に対してもっている認めがたい考えや感情を他人に移して(人のせいにして)、他人がそのような考えや感情をもっているとみなすこと。たとえば、自分のなかにある他者に対する憎悪感が、無意識のうちに他者に移され、彼が自分を憎んでいると思うことなど。(4)同一化・同一視identification これは、外界の対象(他者)と自己とを同一とみなす場合と、対象に属する諸性質や態度を自分のうちに取り入れて同一化する場合とがある。たとえば、子供が親に似てくるのは、親の特徴を自分のうちに取り入れるからである。(5)合理化rationalization 自分の行動の本当の動機を無意識のうちに隠し、ほかのもっともらしい理屈をつけて納得すること。たとえば、『イソップ物語』に登場するキツネがとろうとしてもどうしてもとれないブドウに対して、あれは酸っぱいブドウなのだと思い込むこと。(6)昇華sublimation 抑圧された衝動が社会的、文化的に価値ある活動に置き換えられること。たとえば、裸婦像や裸婦画はその芸術家の性衝動の昇華とみなされる。これは内的衝動に対する防衛機制であるばかりでなく、学問、芸術、文化、宗教などの創造的活動の基礎をなす心理機制でもある。(7)置換えdisplacement ある状況下で容認されがたい衝動や態度を、別の対象に向け換えて不安を解消しようとする機制。たとえば、父親に対する憎しみを職場の上司に向ける場合など。
防衛機制にはこのほか退行、打ち消し(復元)、転換、隔離、摂取(取り入れ)、知性化、逃避、補償、代償、攻撃、固着などが指摘されている。防衛機制はその名称が示すように「防衛」という消極的な心理機制であって、積極的に合理的な方法で問題解決を図るものではない。それゆえに一種の自己欺瞞(ぎまん)的な問題処理の仕方である。しかし、人間はすべての問題を合理的に解決することは不可能なので、防衛機制を用いざるをえない。この点で防衛機制は人間にとって不可欠なものであるが、あくまで適切な範囲内で用いられるべきものであり、頻繁にこれが用いられると神経症的な症状を形成することになる。
[久保田圭伍]
『小此木啓吾・馬場謙一編『フロイト精神分析入門』(1977・有斐閣新書)』▽『A・フロイト著、黒丸正四郎・中野良平訳『自我と防衛機制』(1982・岩崎学術出版社)』▽『S・フロイト著、懸田克躬訳『精神分析学入門Ⅰ』(2001・中央公論新社)』
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精神分析の用語。人格の統一性を保持し,現実への適応を図るのは自我の役割であるが,これは容易な役割ではない。現実にはいろいろ困難な事態が起こるし,個人の人格は自我だけで構成されているのではなく,自我とともすれば対立する超自我とエス(イド)を抱え込んでいる。超自我とエスは現実とかかわりをもっておらず,超自我は道徳的命令や禁止を押しつけてくるだけであるし,エスは快楽原則に従ってひたすら満足の快感を求めるだけである。ともすれば自我と対立し,また互いに相矛盾する超自我とエスの要求を合理的に調整し,また現実に働きかけて現実を目的に合致するよう変えてゆくことができれば,自我は適応に成功するわけであるが,いつもそううまくゆくとはかぎらない。防衛機制は,そういう合理的な適応に失敗したときに自我が用いる不合理な適応手段,逃避,一種の自己欺瞞であるといえる。厳密にいえば,完全に合理的な適応を行っている個人などは存在しないのであって,だれでも多かれ少なかれ防衛機制を用いている。
防衛機制にはさまざまなものがあるが,どの防衛機制をもっぱら優先的に用いるかによって,個人の性格も違ってくるし,防衛機制が破綻したときに(防衛機制はもともと不合理なものだから,成功したとしても一時逃れだが)生じる精神疾患の種類も違ってくる。たとえば〈抑圧〉とヒステリー,〈反動形成〉および〈分離(隔離)isolation〉と強迫神経症,〈投射(投影)〉とパラノイアは関係が深いといわれる。防衛機制のもっとも基本的なものは,自我を脅かすふつごうな観念や感情を無意識へと追いやる〈抑圧〉であるが,抑圧したからといってそれらの観念や感情は消滅しないので,さらにいろいろと防衛機制が必要となる。〈抑圧〉を強化するため,抑圧されたものと正反対のものを意識にもっていることを〈反動形成〉という。たとえば父親への憎悪を抑圧した息子が意識的には父親に過大な愛情を抱き,父親のために過度に献身的に尽くしたり,けちな人が過度に気前よくふるまったりする場合。抑圧された感情や衝動を本来の対象とは別の対象にふり向けることを〈置換え(転位)displacement〉という。たとえば父親への憎悪を抑圧し,より安全に攻撃できる教師に向ける場合。この場合は父親と教師との〈同一視〉という防衛機制も働いている。〈同一視〉は自分を強者と同一視して劣等感から逃れるといった場合にも用いられる。自分の欲望などを抑圧し,相手になすりつけることを〈投射〉という。たとえば浮気したい欲望を抑圧した妻が,全然浮気する気などないし,したこともない夫の浮気を非難する嫉妬妄想は〈投射〉の結果である。〈分離〉は観念とそれに伴う感情とを分離し,たとえば〈私が父を憎んでいるということは理論的には考えられますね〉などと平気でいう場合のように,観念は意識において保持しているが,感情は抑圧する防衛機制である。このほか防衛機制として挙げられているものは数多いが,患者の防衛機制を分析し,克服しようと努めるのが精神分析療法である。
執筆者:岸田 秀
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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[心理機制]
われわれは日常,自己の本能的あるいは社会的な欲求をつねに満足させることはできない。しかし欲求不満や葛藤があっても,それを無意識的に適切に処理することにより(防衛機制),心理的な破綻(はたん)をすることがない。神経症的な性格の人は,欲求不満や葛藤状況への抵抗が弱く,破綻に面して不安を生じる。…
…したがって煎じつめれば神経症的不安といえども現実不安である。自我は内外の危険を回避するためにさまざまな防衛機制(抑圧,否認,隔離,反動形成,打消し,象徴化,同一化,投影,自我の分裂)を働かせる。現代の一般心理学の中に防衛機制論はあまねく採用されているが,その発見者はフロイトである。…
…欲求は必ずしも満足されるとは限らず,欲求不満(フラストレーションfrustration)のため緊張の高まることもあるし,相反する二つの欲求,つまり葛藤のため不安の生ずることもある。この緊張や不安解消のため,防衛機制または適応機制と呼ばれる無意識的な心理機制が働くが,神経症はこの緊張や不安の処理が不適切なために発症すると考えられる。外的適応または内的適応がうまくいかない場合を適応障害または不適応と呼び,それには一過性の場合と持続的な場合,環境要因の強い場合と人格要因の強い場合とがある。…
…心理学,精神医学の用語。無意識の作用による自我の防衛機制の一つ。投影ともいう。…
※「防衛機制」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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