従来は、精神的葛藤(かっとう)から生じた不安を処理しきれず、心身の機能障害が生じたものをいうとされてきた。また、具体的にはさまざまの身体症状や精神症状が現れるが、それらの症状の根拠になる肉眼的、顕微鏡学的異常所見が認められない、すなわち、器質的でなく機能的であること、そして心理的原因、つまり心因性であることが特徴であるとされてきたが、今日では後述する不安障害などでは生物学的成因も存在することが明らかにされてきている。
神経症という用語は1777年スコットランドの医師カレンWilliam Cullen(1710―90)によって提唱されたものであるが、当時の意味は原因不明の神経系統の障害という幅の広いもので、パーキンソン病なども含まれており、今日でいう神経症とはかなり内容を異にするものであった。今日の神経症概念が確立するにあたっては心因論、つまり、病気の発生に精神的原因が関与するという研究の発展が必要であった。心因論は催眠の研究を経て、フロイトが精神分析を確立したことによって、より明確なものになった。なお、神経症はドイツ語でノイローゼNeuroseというが、通俗的によばれる際のノイローゼは精神医学的な正しい意味ではなくて、広く精神変調、ある場合には統合失調症をさすことが多い。精神病という用語を使うのを避ける気持ちで使われることもある。神経症が精神病と異なるところは、精神症状がそれほど重篤ではないこと、日常生活は神経症症状のために支障されることはあっても、日常生活に対する責任感や関心を失っていないこと、異常な状態にあることに自覚、つまり病識があることなどである。ところが、アメリカ精神医学会では1980年から診断分類を大改訂した際に神経症という病名を使用することを廃止してしまった。それは神経症という用語がいろいろの意味に使われすぎることと、それまで神経症とされてきたもののなかに、原因として心因ばかりでなく生物学的根拠の存在することが明らかになったことによる。このアメリカ精神医学会の考え方は世界保健機関(WHO)の国際疾病分類(ICD)にも影響をあたえているが、ICDのなかでは神経症性障害という用語は使われている。日本では、しだいに新しい知見を取り入れながらも、従来の分類を用いる傾向も残っている。ここでは新しい考え方に比重を置いて、おもなものを述べる。
[西園昌久]
パニック障害ともいう。従来の不安神経症のなかの急性不安状態にほぼ相当する。突然、動悸(どうき)、心悸亢進(しんきこうしん)、心拍数の増加、発汗、身震い、息切れ感、胸苦しさ、窒息感、胸痛もしくは胸部不快感、吐き気または腹部不快感、めまい感、ふらつき、頭が軽くなる感じあるいは気が遠くなる感じ、現実でない感じ、あるいは自分自身から自分が離れるような離人症状などに襲われ、死の不安、あるいは精神に異常をきたすのではないかという不安にさらされる。この不安発作は、今日ではパニック発作とよばれるが、いったん発作が治まっても、ふたたび発作におそわれはしないかと予期不安がおき、また、そのために外出恐怖(広場恐怖)へと発展することがある。発作の性質から、狭心症や心筋梗塞(しんきんこうそく)症などとの鑑別診断が重要である。抗うつ薬、抗不安薬の使用で症状が軽減すること、逆にある物質(乳酸)を実験的に体内に注入するとパニック発作を誘発することができることが明らかにされて、ある種の神経症、ことに不安を特徴とする従来の症状をもつ神経症には心理的葛藤とは別に神経の異常活動に原因があること、つまり生物学根拠の存在が認められるようになった。そのような理解をもとにアメリカの精神科診断分類第4版(DSM‐Ⅳ)では不安障害で一括している。恐慌性障害はそのなかの一つである。
[西園昌久]
従来の不安神経症の慢性不安状態に相当する。(1)落ち着きのなさ、または緊張感、過敏、(2)疲労しやすさ、(3)集中困難または心が空白になること、(4)易刺激性、(5)筋肉の緊張、(6)睡眠障害(入眠、または睡眠維持の困難)、これらの症状を伴って、仕事や学業などに適応できないと過剰な不安と心配をし、自身では制限することが難しいと感じているものである。
[西園昌久]
心気神経症ともいう。からだについての多彩な症状を重ねて訴える一群の神経症。アメリカの診断分類では身体化障害と心気症とに分けられている。
[西園昌久]
ヒステリー神経症あるいは転換ヒステリーともいう。多くの場合、運動障害(立てない、歩けない、話せないなど)や知覚障害(見えない、痛くない、頑固な疼痛(とうつう)など)として現われるが、それぞれの神経支配とは矛盾する。また、症状を理由にして家族や社会での利得や責任を免れようとする傾向(疾病利得)がみられるが、それらは本人が意図的に行っているわけではない。
[西園昌久]
あるいは解離ヒステリーともいう。遁走(とんそう)(自分が誰であるか忘れてしまって、家族や職場から離れる旅をすること)、健忘、いわゆる多重人格(解離性同一性障害)、離人症(体験していることについての実感がなくなる)など。
[西園昌久]
アメリカの診断分類では、広場恐怖、ある特定の高所、飛行、動物などを対象とした恐怖、よく知らない人を対象にした社会恐怖が含まれている。
[西園昌久]
本人は、そのような思考、衝動、イメージは不適切と判断し、無視あるいは抑制しようと試みるが、反復的持続的にある思考、衝動、イメージが侵入的に起きてくる。中心をなす症状は強迫観念と強迫行為である。
[西園昌久]
Post Traumatic Stress Disorderを略してPTSDともいう。死に直面するような出来事、身体の危険にさらされる体験を自ら体験、あるいは目撃、それらに対する戦慄の反応をし、それが反復的、侵入的に想起されたり、再び起きているかのように感じたり行動したり(フラッシュバック)、外傷と関連して持続的回避と全般的な反応性の麻痺を認め、さらに睡眠障害、怒り、集中困難、過度の警戒心、過剰な驚愕(きょうがく)反応などの覚醒亢進(かくせいこうしん)症状が存在する。なお、日本ではPTSDを一般的に「心的外傷後ストレス障害」とよぶことがあるが、DSM‐Ⅳでは「心的」は使っていない。
[西園昌久]
神経症の治療は、生物学的な脆弱(ぜいじゃく)性と精神的葛藤とが重なりあって発病するという理解にたって、薬物療法と精神療法とを併用するのが一般的である。ことに、不安障害に属するパニック障害、全般性不安障害、恐怖性障害、心気性障害、強迫性障害、PTSDなどは、抗不安薬、SSRI、SNRIなどの薬剤で症状改善が得られることが期待される。しかし同時に、治療者と患者の関係がよくなるよう支持的精神療法もなされねばならない。そうでないと医師を転々とするドクターショッピングや薬物依存が生じてしまう。薬の効果のない不安障害に属するもの、転換性障害あるいは解離性障害には本格的な精神療法が必要である。精神分析療法、行動療法、認知療法、森田療法などである。それらの本格的精神療法は、そのための専門的訓練を受けた専門家によってなされるが、そのほとんどの人が大都会に偏っているのと社会保険診療では不可能でないにしても困難であるのが難点である。
[西園昌久]
『懸田克躬・高橋義孝訳『フロイト著作集1 精神分析入門』正続(1971・人文書院)』▽『西園昌久著『精神医学の現在』(2003・中山書店)』
ドイツ語でノイローゼNeuroseともいう。神経症とは,精神的または身体的な強い自覚症状をもつが,身体的原因を欠き,その原因が心理機制によって説明される機能的疾患である。神経症という語は1777年にスコットランドの医師W.カレンにより最初に用いられた。当時の概念は現在のそれと異なり,病因不明であった雑多な精神神経疾患の総称であった。その後,J.M.シャルコー,S.フロイト,P.ジャネ,H.オッペンハイムなど多くの学者により,その本態の研究がつみ重ねられ,この間に脳炎,舞踏病,パーキンソン病,てんかんなど多くの神経疾患が独立疾患として神経症から排除された。今日でもなお雑多なものを含む可能性は否定できない。また,精神病,性格障害,心身症との境界は必ずしも明確ではない。今日では神経症性障害と呼ばれる。なお神経症の概念は次のとおりである。
(1)機能的な精神的または身体的な障害であり,身体的な病因に由来するものではない。したがって後遺症を残さずに回復しうる。(2)心因性である。つまり,その発症をその個人の感動的体験から理解することができ,原因となった体験と症状や経過の間には関連性がある。ある体験に対する個人の精神的反応は,その体験の性質,強さと,その個人の性格によって決まり,神経症の発症にも状況因と性格因が関与している。(3)後述するような特有な症状や状態像を呈する。これらに共通する特徴は病感の強い点であり,この点は病気への自覚を欠く狭義の精神病と異なっている。多くの症状は主観的で,客観的な所見に乏しい。(4)神経症には特有の病前性格が認められ,それは情緒的な成熟度が低く,環境に対して欲求不満や葛藤を起こしやすく,それを適切に処理することのできない性格傾向である。
(1)不安神経症 不安,つまり明りょうな対象のない漠然とした恐れを主症状とする。不安は,動悸,呼吸促進,息切れ,胸内苦悶,尿意頻数,冷感,しびれなどの自律神経症状と緊張感や無力感を伴う。これらの症状が発作的に起こる不安発作では,しばしば死の恐怖を伴う(パニック障害)。それがまた起こりはしないかと予期して不安(予期不安)になり,外出もできず,乗物に乗れなくなる例もある。身体症状が不安によるものと自覚されず,心臓疾患などを疑って内科を訪れる人も多い。(2)心気神経症 心身の状態に過度の注意を向け,それにこだわり,健康の不全感に悩むもので,心気症ともいう。さまざまな身体的愁訴がみられる。(3)強迫神経症 強迫思考,強迫行為などの強迫体験を主症状とする。すなわち,不合理でばかばかしいと知りながら,ある思考や行為を繰り返さずにいられない。無理に中断すると著しい不安が生ずる。戸締りや火の始末を何度も確かめずにいられない例や,手洗いを反復する例などがある。強迫思考が特定の対象に集中したものを恐怖症といい,不潔恐怖,尖鋭恐怖,広場恐怖,高所恐怖,疾病恐怖,対人恐怖などがある。恐怖症は恐怖神経症として独立の類型として扱われたこともある。(4)離人神経症 自己の行動や感情の現実感が失われ,自己の身体や外界に対する変化感,疎遠感が生じ,そのために不安,焦燥感を伴う。(5)抑うつ神経症 神経症性うつ病ともいう。抑うつ気分を主症状とし,悲哀感,絶望感,厭世感などを伴い,無気力となり,外界への興味が減退する。不眠,食欲不振,動悸などの身体症状を伴うこともある。(6)神経衰弱 持続的な緊張や葛藤による疲労感を主症状とする。疲労感,注意集中困難,焦燥感,記憶力低下,精神作業能力の低下などの精神症状と,不眠,頭痛,食欲不振,振戦などの身体症状からなる。(7)ヒステリー 無意識の葛藤や欲求不満が症状形成により解消されるという疾病逃避の機制をもつ。患者は症状形成により不安から逃れることができると同時に,周囲の同情や関心を得ることができる。心的葛藤が身体症状に転換される場合と,意識の中のある部分が解離される場合とがある。身体症状としては知覚障害と運動障害があり,前者には知覚脱失,視力障害,聴力障害など,後者には運動麻痺,失立(立てない),失歩(歩けない),失声(声が出せない),痙攣(けいれん)などがある。精神症状としては健忘,もうろう状態,痴呆(認知症)のような状態を呈する偽痴呆(偽認知症),多重人格などがある。身体症状は解剖学的,生理学的な原則と一致しないことが多い。症状には演,多重人格技的な面があり,とくに人前で誇張され,外部からの暗示の影響を受けやすいが,詐病ではない。
以上が慣用されていた類型であるが,近年考え方が大きく変わりつつある。環境条件が強く作用して発症した神経症は,状況神経症または環境神経症と呼ばれ,その発症に性格要因が主役を占めるものは性格神経症と呼ばれる。発生状況から戦争神経症,外傷神経症,災害神経症,目的論的見地から賠償神経症,年金神経症などの名称がある。また,心気的訴えの集中する臓器別に,心臓神経症,胃神経症,性的神経症などの名称も用いられている。
われわれは日常,自己の本能的あるいは社会的な欲求をつねに満足させることはできない。しかし欲求不満や葛藤があっても,それを無意識的に適切に処理することにより(防衛機制),心理的な破綻(はたん)をすることがない。神経症的な性格の人は,欲求不満や葛藤状況への抵抗が弱く,破綻に面して不安を生じるが,その結果として神経症的防衛と呼ばれる病的な防衛機制(抑圧,代償,転換,解離,合理化,置換え,復元など)を選ぶことになり,神経症としての症状が形成されるに至る。
最近では神経症という用語はあまり用いられなくなり,前述した類型は不安障害,強迫性障害,解離性障害,身体表現性障害,適応障害などとして診断される。治療としては,抗不安薬を中心とする薬物療法と,精神療法とがある。
→神経衰弱 →ヒステリー
執筆者:臼井 宏+野上 芳美
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(最近では神経症性障害と呼ばれる)とは、いわゆるノイローゼのことで、不安神経症、恐怖症、強迫神経症などに分類されます。
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…その後,児童相談所の開設,各国での講演など活発な活動を続けたが,29年コロンビア大学客員教授となり,以後アメリカに定住して,ホーナイらに深い影響を与えた。彼は,フロイトが神経症の原因として性衝動を重視したのに対して,性的でない要素,つまり自我の欲求や性格傾向が神経症を生むと主張した最初の人であった。また,フロイトが過去に原因を求めたのに対し,人間行動の目的性を重視し,人はほとんど実現不能な目標を追求して神経症的になると考えた。…
…児童を直接治療したM.クラインによれば,すでに3歳以前,生後1年の間においてすらエディプス的な幻想がみられるという。神経症者は,フロイトによれば,エディプス・コンプレクスの克服に失敗した者であり,成人してからもそれを強くもち続けている者である。両親の不安定な養育や偏頗(へんぱ)な愛情が,子どものエディプス・コンプレクスを不当に強化することは自明のことであろう。…
…神経力の高下により身体実質部の張力が変動し,過度の緊張あるいは無力状態になると諸種の病気が起こると説き,鎮静剤と緊張剤の使用を推奨した。疾病分類の中に〈神経症〉を記載した。【本田 一二】。…
…神経症(ノイローゼ)と精神分裂病との境界もしくは中間に位置づけられるケースで,単に〈境界例borderline case〉とも略称される。執拗な心気傾向,強迫ないし恐怖,離人など神経症症状を前景としながら,妄想や被影響体験が混じったり,若年者の場合には各種の行動異常(暴力,薬物乱用,自傷行為など)が目だち,治療も時に難渋する。…
…強迫思考や強迫行為に悩んでいる状態で,精神病や脳器質性の障害を否定することができる場合をいう。強迫神経症という名称を理論的な根拠に基づいて使用したのはS.フロイトである。彼以前には,パラノイアと強迫状態との類似がもっぱら考えられており,フロイトがはじめて強迫とヒステリーとの共通点をあげて,これを神経症とみなしたのである。…
…このような恐怖をもつ人物は,恐怖すべき対象,行為あるいは状況を避けるようになる。この回避行動が社会生活に支障をきたすものとなれば,治療を必要とする神経症の一類型となる。もっとも,軽度の恐怖は,多くの人に見られるもので,社会生活に影響を及ぼすほどのものではない。…
…従来〈自我本能〉と訳されてきたが,Trieb(英語ではdrive)の原義からいって〈自我衝動〉ないし〈自我欲動〉とするのが正確である。フロイトは正常人の知覚や学習の現象を研究していた彼以前の心理学者と異なり,臨床医だったので,神経症を問題にした。神経症を説明するためには,葛藤の概念が不可欠であり,葛藤の起源を考えなければならなかった。…
…精神分析とは,創始者であるS.フロイト自身の定義に従うと,(1)これまでの他の方法ではほとんど接近不可能な心的過程を探究するための一つの方法,(2)この方法に基づいた神経症の治療方法,(3)このような方法によって得られ,しだいに積み重ねられて一つの新しい学問的方向にまで成長してゆく一連の心理学的知見,である。ここでフロイトの述べている方法とは,主として自由連想法である。…
※「神経症」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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