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奈良時代の文人。中務大輔船守の子。716年(霊亀2),19歳で遣唐留学生に選ばれ,翌年,遣唐使に従って入唐した。長く唐にとどまり,唐を朝仲満,朝衡(ちようこう),晁衡(ちようこう)という。初め唐の太学に入り,科挙に登第,左春坊司経局校書をふり出しに左拾遺,左補闕などの官を歴任した。733年,入唐した遣唐使とともに帰国することを上請したが許されず,儀王(玄宗の子,李璲)の友に任ぜられた。752年,入唐した遣唐使藤原清河,吉備真備らと帰国することを願い出て許可され,鑑真(がんじん)一行らをも伴って蘇州より出航したが,仲麻呂の乗った清河の船は安南(あんなん)に漂着,苦心の末長安に戻った。この間,衛尉少卿,秘書監,衛尉卿などの官に任ぜられている。安史の乱後,左散騎常侍,鎮南都護,安南節度使となったが,73歳で長安に没した。潞州大都督の官が贈られている。異民族出身で唐の官人として活躍した人物は少なくないが,仲麻呂は日本人として唯一の例といってよく,その学識・文才は,吉備真備のそれとともに,唐土に聞こえた。儲光羲(ちよこうぎ),趙驊(ちようよう),王維,包佶(ほうきつ),李白らの中国文人とも交遊があり,それぞれ関係の詩が残っている。なお彼の望郷の歌として有名な,〈天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山に出でし月かも〉は,752年仲麻呂が唐を離れるに際して詠んだとする説がある一方,長安での望郷歌とする説や,古歌を後人が仲麻呂に付会したとする説もある。
執筆者:東野 治之
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奈良時代の遣唐留学生、唐の官僚。中務大輔(なかつかさたいふ)阿倍船守(ふなもり)の子。安倍にもつくる。仲満とも記し、入唐後、朝衡(ちょうこう)と改名する。716年(霊亀2)7月、吉備真備(きびのまきび)らとともに遣唐留学生となり、翌717年(養老1)遣唐大使多治比県守(たじひのあがたもり)らに従って出発した。736年(天平8)10月、一度遭難して唐に戻った遣唐判官平群広成(へぐりのひろなり)が渤海(ぼっかい)経由で帰国することを学生仲麻呂が玄宗(げんそう)に奏上して許された。唐朝に仕え、司経校書(しけいこうしょ)、左拾遺(さしゅうい)、左補闕(さほけつ)、儀王友(ぎおうゆう)となる。753年(天平勝宝5)遣唐大使藤原清河(きよかわ)とともに僧鑑真(がんじん)に会い、その渡日を要請し、自らも帰国しようとしたが遭難し、ふたたび唐に帰った。その後、衛尉少卿、秘書監兼衛尉卿、唐の上元(じょうげん)年中(760~762)に抜擢(ばってき)されて左散騎常侍(ささんきじょうじ)、鎮南(改名して安南)都督となった。ほかに光禄大夫、右散騎常侍兼御史中丞(ぎょしちゅうじょう)、北海郡開国公ともいう。770年(宝亀1)正月、唐で没した。73歳。李白(りはく)、王維(おうい)ら唐代の文人多数と交際し、没後潞州(ろしゅう)大都督を追贈され、日本でも正二品(ほん)が贈られた。帰国に関する漢詩2篇(へん)、歌1首を残すが、『古今和歌集』所収の「天の原ふりさけみれば春日(かすが)なる三笠(みかさ)の山に出でし月かも」は有名。
[鈴木靖民]
『杉本直治郎著『阿倍仲麻呂伝研究』(1940・育芳社)』
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698?~770?
安倍とも。奈良時代の遣唐留学生,のち唐の高官。中務大輔船守(ふなもり)の子。717年(養老元)吉備真備(きびのまきび)らとともに入唐,名を仲満(ちゅうまん)と改める。のち朝衡(ちょうこう)・晁衡(ちょうこう)ともいう。太学(たいがく)に学んで盛名を得,左春坊司経局校書・左拾遺・左補闕(さほけつ)・儀王友・衛尉少卿・秘書監を歴任。753年帰国に失敗して安南に漂着。長安に戻り,左散騎常侍・鎮南(のち安南と改称)都護・安南節度使を歴任,没後に潞州(ろしゅう)大都督を贈られた。この間李白(りはく)・王維(おうい)らと親交を結び,「あまの原ふりさけみれば云々」の歌を残す。
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…同じ説話は大江匡房の《江談抄》にあり,この絵巻ももとはさらに帰国までの話を描いた1巻があったと思われる。内容は,唐土に着くなり高い楼上に幽閉された真備のところに,阿倍仲麻呂の霊が化した鬼が現れ,真備の威に服して助力を約束する。唐人は真備の才学を試すため,《文選》の解読,囲碁の勝負の難題を課するが,そのたびに仲麻呂の幽鬼に助けられて切り抜けるというもの。…
…しかし701年(大宝1)の遣唐使が派遣されるころから,留学生のほとんどは唐に渡った。とくに717年(養老1)に出発した遣唐使には吉備真備(きびのまきび),阿倍仲麻呂,玄昉(げんぼう),大倭長岡(やまとのながおか)らが随行し,彼らの学業は長安でも高く評価されたという。仲麻呂はついに帰国できなかったが,真備らは大量の書籍や楽器などを持ち帰り,唐の文化の本格的な摂取の段階に入った。…
※「阿倍仲麻呂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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