隈取 (くまどり)
歌舞伎の化粧法。江戸荒事劇にはじまり,時代物一般に用いられる。顔面筋肉を基調に各種地色へ紅,青黛(せいたい)などの油性顔料で片ぼかしに筋を描き,血気,怪異,姦佞(かんねい)など,役柄を誇張して表現する。荒事の英雄とこれに対する敵役や鬼畜・神仏の化身など,非写実的・ロマン的演劇が,隈取の発達の基礎をなした。元禄~正徳(1688-1716)のころにはすでにその複雑多岐なパターンが成立していたとみられる。初世・2世市川団十郎や山中平九郎,中村伝九郎ら,元禄期の諸優のくふうが,隈取創始に果たした役割は大きい。4・5世の団十郎に至り,役柄の範囲が広がるとともに,実悪(じつあく)系の凄みの隈も加えられた。隈取は取りかたと色彩とにより,約50種ほどに大別され,役々を類型化してとらえる思考によって,1種類の隈が諸種の役々に併用されるのがふつうで,〈猿隈〉が朝比奈役にのみ用いられるなどは,むしろ例外といえよう。また同一の役でも,たとえば《菅原伝授手習鑑》の梅王が〈車引の場〉と〈賀の祝の場〉とでは隈取に変化があり,《国性爺合戦》の和藤内は〈鴫蛤(しぎはまぐり)の場〉〈千里ヶ竹の場〉〈桜門の場〉までと,〈紅流しの場〉以降とでは,それぞれに用いる隈を変えるなど,人物の性格に即するというより,場面場面における役割を役柄とする思考がこうした変化を生むとみられよう。隈は大別して荒事・半道敵(はんどうがたき)系の紅隈と,実悪・鬼畜・怨霊系の藍・墨・黛赭(たいしや)などによる隈とに区分される。これらのうち代表的なものを列挙すると以下のようなものがある。〈筋隈〉は《車引》の梅王,《暫(しばらく)》の鎌倉権五郎,《矢の根》の五郎など。〈一本隈〉は《千里ヶ竹》《獅子ヶ城》の和藤内,《暫》の腹出しなどが用いる。その変形の〈二本隈〉があり,これは眉上にさらに〈芝翫(しかん)筋〉と称する紅の筋が加わる。〈むきみ隈〉は助六,《対面》の五郎など。奴系の役はこの〈むきみ隈〉に青髭を加えたものと考えられる。〈半隈〉は墨(青)髭を頰部と顎部にほどこし,筋隈と同形,これは景清役に用いる。〈猿隈〉は額に複数の横筋を入れるところからの称で,鼻下と顎部に墨髭を入れる〈弁慶猿隈〉などの変形も見られるが《対面》の朝比奈の用いるもの。〈火焰隈〉は筋隈の形態で額部の筋が火焰状をなす。《義経千本桜》〈鳥居前の場〉の忠信などがこれである。〈鯰(なまず)隈〉は鼻脇から下部へかけて墨の鯰髭を描くのが特徴で,《暫》の鯰坊主に用いる戯隈(ざれぐま)の一種,同想のものに〈蟹隈〉がある。〈六十三日隈〉〈日の出烏の隈〉〈蝙蝠(こうもり)隈〉など,ひねった趣向のものも戯隈に属する。藍・茶・墨系の隈の典型的なものには〈公家荒(くげあれ)〉があり,《車引》の時平,《暫》のウケ,《妹背山婦女庭訓》の入鹿(いるか)などの役々に用いる。ほかに〈般若隈〉〈鬼女(きじよ)隈〉など謀反人・鬼畜・化身系の役々に多数がある。演技が終わったあと,隈取を紙または羽二重などに押しあてて写しとったものは〈押隈〉といい,好劇家に愛蔵されている。
執筆者:小池 章太郎
臉譜
中国では隈取を〈臉譜(れんぷ)〉という。もと古代の仮面に源を発し,それから発達してきたといわれ,宋・元の演劇にはすでに用いられていたが,長い年月を経て複雑化し,今日みられるような多彩な様式に変化してきた。この特殊な化粧法を用いるのは,浄(じよう)(豪傑役,敵役)と丑(ちゆう)(道化役,端敵役)の二つの役柄で,浄が〈花臉〉といって顔の全面に隈取するのに対し,丑は〈小花臉〉ともいわれ,顔の中央を白く塗るだけである。色彩によって人物の性格を表し,たとえば正義と熱血の士である関羽は赤塗り,狡猾で陰険な趙高は白塗り,また愚直な豪傑の張飛や,剛直な正義派の包拯は黒塗りにする。このほか,紫は廉直な人物,黄は一種の腹黒い人物,青は凶猛な性格,緑は妖魔,金銀は神仙妖怪のたぐいをそれぞれ表す。鮮やかな色彩と大胆な図案によって,仮面のように見える濃厚なそれは,京劇における重要な演出技術の一部になっている。
執筆者:岡 晴夫
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隈取
くまどり
歌舞伎(かぶき)の化粧法の一つ。顔面を紅(べに)、藍(あい)、代赭(たいしゃ)(茶墨)、墨などの線で彩り、表情を誇張するもの。単に「隈」ともいい、これを顔にかくことを「隈をとる」とよぶ。発生の年代は未詳であるが、元禄(げんろく)(1688~1704)ごろには存在し、初世市川団十郎が創始したという。力を誇張して表現する「荒事(あらごと)」の演出に伴って発達し、2世団十郎が白粉(おしろい)地に紅で隈をとり、ぼかしをつける技法をくふう、同年代の初世中村伝九郎や山中平九郎らによりその他の基本形がつくられた。
発生には、能面など木彫りの仮面や仏像の怒りの相貌(そうぼう)の影響をあげる説が多く、中国古典劇の「臉譜(れんぷ)」にヒントを得たという説もある。しかし「隈」とは、奥まって隠れたところ、かげのあるところを意味するものであり、「隈取」とは顔面にかげをつけることでもあって顔面の骨格に沿って線を描き、ぼかしをつけて筋肉とかげを印象づけるものである。このように俳優の表情を生かしながら役の性格や感情を表現する点、仮面のような臉譜にはみられない特色である。
種類は100に及ぶが、大別して陽性の正義、力、熱情などを表す紅隈系と、陰性の邪悪、怨霊(おんりょう)、鬼畜などを表す藍隈、代赭隈系に分けられる。前者にむきみ(『助六(すけろく)』『対面』の五郎)、一本隈(『国性爺(こくせんや)・楼門』の和藤内(わとうない)、『菅原・賀の祝』の梅王)、筋(すじ)隈(『暫(しばらく)』の主人公、『国性爺・紅流し』の和藤内、『車引(くるまびき)』の梅王)、猿隈(『対面』『草摺引(くさずりびき)』の朝比奈(あさひな))、火焔(かえん)隈(『千本桜・鳥居前』の忠信)など、後者に公家荒(くげあれ)隈(『暫(しばらく)』のウケ、『車引(くるまびき)』の時平(しへい))、般若(はんにゃ)隈(『道成寺』の蛇体)、鬼女隈(『紅葉狩(もみじがり)』『戻橋(もどりばし)』の鬼女)、土蜘蛛(つちぐも)隈(『土蜘(つちぐも)』の後ジテ)など、両者の混合したものに半(はん)隈(各種の景清(かげきよ))、鯰(なまず)隈(『暫』の鯰坊主)、蟹(かに)隈(『車引』の雑式(ぞうしき))、朝顔(あさがお)隈(『助六』の朝顔仙平(せんべい))などがある。なお、役によっては手足にも隈をとるが、今日では隈の模様を描いた肉襦袢(にくじゅばん)で代用することが多い。
[松井俊諭]
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隈取
くまどり
歌舞伎の役のなかで,超人的力をもった英雄,荒神,悪鬼,化身などの演技 (荒事) をする者が施す特殊な化粧。怒りや闘争的心情をもつときに生じる顔面筋肉の緊張や隆起の状態を,視覚的に誇張して見せる化粧法。創始は,荒事演技を始めた1世市川団十郎らで,おそらく怒りの表情をもった仮面や神仏像の顔からヒントを得たものと考えられている。赤系統は正義,藍は悪の表現や亡霊,茶その他は鬼畜,神霊などに施すのが普通。その他,顔面に戯画化した化粧をするのを戯隈 (ざれぐま) という。隈取の代表的なものは,『暫 (しばらく) 』の主人公や,『国性爺合戦 (こくせんやかっせん) 』の和藤内 (わとうない) などの赤系統の筋隈 (すじくま) である。
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隈取(芸能)【くまどり】
歌舞伎の特殊化粧法。顔面を紅・藍(あい)・墨などでいろどり,表情を誇張するもので,単に隈ともいう。元禄ごろからあったといわれるが,現在のものは初世市川團十郎が創始,荒事の演出とともに発達した。筋の組合せや色の変化で多種の名称があるが,大別して正義・力を表す紅隈と,邪悪,妖異(ようい)を示す藍隈の2系統に分かれる。
→関連項目京劇
隈取(美術)【くまどり】
洋画の陰影法に類する東洋画の技法。画面の調子に変化を与えるために施す場合が多く,余白に用いる地隈,光線の当たる部分に明色をつける反(かえり)隈(逆(さか)隈)などがある。
→関連項目没骨
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隈取
歌舞伎の化粧法。正義や超人的な力を持った役柄を強調する時に使う。
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出典 日外アソシエーツ「動植物名よみかた辞典 普及版」動植物名よみかた辞典 普及版について 情報
世界大百科事典(旧版)内の隈取の言及
【歌舞伎】より
…
[扮装と舞台美術]
化粧,衣裳,鬘は,様式と人物の役柄とによって,それぞれ定式になっている独自のものを用いる。荒事の〈隈(くま)〉([隈取])はそれを取る役の性格によって,色と形の基本に違いがある。正義と勇気を表すのが〈紅隈〉と呼ぶ赤い隈,超人的な悪を表現するのが〈藍隈〉である。…
【暈】より
…〈隈〉とも書かれる。東洋絵画の彩色技法の一つで,隈取,暈渲(うんせん)ともいう。色彩や墨を濃淡にぬりわけたり,ぼかしたりすることによって,対象の凹凸感や立体感をあらわす。…
※「隈取」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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