日本大百科全書(ニッポニカ) 「雪江宗深」の意味・わかりやすい解説
雪江宗深
せっこうそうしん
(1408―1486)
室町中期の臨済(りんざい)宗の僧。妙心(みょうしん)寺中興の祖。摂津(兵庫県)の人。初め建仁(けんにん)寺五葉庵(ごようあん)の文瑛(ぶんえい)に学んだが、のち尾張(おわり)(愛知県)瑞泉(ずいせん)寺において関山(かんざん)派の日峰宗舜(にっぽうそうしゅん)に参じ、さらに日峰の法嗣(はっす)義天玄承(ぎてんげんしょう)(1393―1462)に従い、その印可を受けた。細川勝元(ほそかわかつもと)は雪江に深く帰依(きえ)し、京都の龍安(りょうあん)寺主に招請して聞法(もんぼう)した。1462年(寛正3)大徳寺41世に出世。彼は寺院経営に巧みで、応仁(おうにん)の乱によって焼失した妙心寺を、細川勝元・政元(まさもと)父子の庇護(ひご)のもと、りっぱに再興した。また、景川宗隆(けいせんそうりゅう)(1425―1500)、悟渓宗頓(ごけいそうとん)(1416―1500)、特芳禅傑(とくほうぜんけつ)(1419―1506)、東陽英朝(とうようえいちょう)(1428―1504)のいわゆる四傑を養成し、妙心寺派飛躍の基礎を築いた。晩年、妙心寺山内の衡梅(こうばい)院に退き、文明(ぶんめい)18年6月2日、79歳で示寂した。仏日真照(ぶつにちしんしょう)禅師と勅諡(ちょくし)された。
[藤岡大拙 2017年8月21日]