幕末の志士。本名は小島龍三郎(たつさぶろう)、諱(いみな)は守善。米沢(よねざわ)藩士中島家の二男として生まれ、幼名は猪吉。藩校興譲館に学び、18歳のとき同藩士小島才助(家禄(かろく)約17石)の養子となる。1865年(慶応1)21歳のとき江戸警衛に派遣され、儒者安井息軒(そくけん)の塾に入り、広く志士と交わる。その後、藩命を受けて京都に潜行し、情勢把握に努める。大政奉還後、徴士として新政府に仕え、京都にあったが、薩長(さっちょう)軍の野望に激憤して、奥羽列藩同盟の正当性を主張して帰藩した。関東において反薩長の同志を集めていたが、68年6月に出した檄文(げきぶん)「討薩檄」は有名。戊辰(ぼしん)戦争後、竜雄は藩校興譲館助教となり、上京して集議院に出仕したが、まもなく退院し、旧幕臣、脱藩浪士の鎮撫(ちんぶ)・救済を標榜(ひょうぼう)して「帰順部曲点検所(きじゅんぶきょくてんけんしょ)」を設け、同志を集めた。明治3年12月28日、政府転覆陰謀事件を理由に東京で梟首(きょうしゅ)となる。年27歳。墓は米沢市常安寺。
[横山昭男]
『安藤英雄著『雲井龍雄研究 伝記編』(1972・明治書院)』
(井上勲)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
幕末・維新期の志士,詩人。姓は小島,諱(いみな)を守善,通称に竜三郎,竜雄などがあり,雲井は変名である。米沢藩中島家に生まれ,同藩小島家の養子となる。天性詩才に恵まれ,藩内では不遇だったが,1865年(慶応1)江戸に出て安井息軒の門に入ってから頭角を現した。戊辰戦争に際しては関東で奥羽越列藩同盟を支援する組織活動につとめ,新政権確立後も東京に反政府の同志を集めたため捕縛・梟首(きようしゆ)された。《雲井竜雄全集》がある。
執筆者:松浦 玲
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