青蘿(読み)せいら

精選版 日本国語大辞典 「青蘿」の意味・読み・例文・類語

せい‐ら【青蘿】

  1. [ 1 ] 〘 名詞 〙 ( 「蘿」は、つた、ひかげ、こけなど ) 青い葉をした蔦(つた)。紅葉しないつたかずら。青色のかずら。
    1. [初出の実例]「曾有青蘿寄緑松、無情草木又綢繆」(出典:済北集(1346頃か)四・牽牛花上竹)
    2. [その他の文献]〔江淹‐江上之山賦〕
  2. [ 2 ]まつおかせいら(松岡青蘿)

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改訂新版 世界大百科事典 「青蘿」の意味・わかりやすい解説

青蘿 (せいら)
生没年:1740-91(元文5-寛政3)

江戸中期の俳人。姓は松岡,通称は鍋五郎。別号は幽松庵,栗庵,栗の本,三眺庵,香松庵,山李坊,令茶など。播磨国姫路の人。江戸詰の姫路藩士松岡門太夫の三男として江戸に生まれた。同藩の武沢喜太夫の養子になり,6歳で養父を失い,一時はその名跡をついだが,やがて本姓にもどった。1755年(宝暦5)御勘定人となって江戸藩邸に勤めたが,身持が不良のため,59年姫路に移され,62年禄を離れて姫路を追われた。俳諧は12歳で玄武坊に学び,蝶夢にも影響されたが,姫路を離れて諸国をめぐるようになってからは,いよいよ俳諧に打ちこんだ。加賀国では闌更に会って影響を受け,67年(明和4)には播磨国加古川に幽松庵を結び,その翌年の芭蕉忌に際し剃髪した。安永から天明(1772-89)にかけて,樗良几董,闌更,暁台,月渓らと交わって天明俳諧を支える有力な一人となり,90年(寛政2)には二条家に召されて中興宗匠に任ぜられた。作品は平淡ななかに渋い味わいをもつ。編著に《蛸壺塚集》《骨書(ほねがき)》《都六歌仙》など,句集に《青蘿発句集》がある。〈雉子啼いてあとは鍬うつ光かな〉(《青蘿発句集》)。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「青蘿」の意味・わかりやすい解説

青蘿
せいら
(1740―1791)

江戸中期の俳人。松岡氏。通称鍋五郎。別号幽松庵、栗庵(りつあん)、栗(くり)の本(もと)など。播磨(はりま)国姫路(兵庫県姫路市)に生まれ、江戸詰の姫路藩士であったが、身持ちが悪く放逐された。その後諸国を行脚(あんぎゃ)、29歳で剃髪(ていはつ)してから俳諧(はいかい)活動に傾倒した。初め玄武坊に学び、闌更(らんこう)の影響も受けた。樗良(ちょら)、蕪村(ぶそん)、几董(きとう)、暁台(きょうたい)らと交友し、中興俳人の有力者となった。俳風は平明ながら枯淡味をもつ。編著に『青蘿発句集』(1797)ほか。寛政(かんせい)3年6月17日没。

 雉子啼(きじな)いて跡は鍬(くは)うつ光かな
[松尾勝郎]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「青蘿」の解説

青蘿 せいら

松岡青蘿(まつおか-せいら)

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