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韓雪野 かんせつやHan Sǒlya

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

韓雪野
かんせつや
Han Sǒlya

[生]光武4(1900).8.3. 咸鏡南道
[没]?
朝鮮の作家。咸豊高等普通学校在学中に三・一運動に参加して逮捕されたが,1921年来日,24年日本大学社会学科を卒業,帰国。 25年カップに参加,27年カップ再編成の中心メンバーの一人となった。 45年の解放後は北朝鮮で文化・教育相,労働党中央委員,作家同盟中央委員会委員長などをつとめ,文化,政治面で指導的役割を果したが,62年に思想的な誤りから労働党の批判を受け,すべての公職と作家生活から追放され,『黄昏 (たそがれ) 』 (1936) ,3部作『大同江』 (52) ,『歴史』 (54) などその全作品は絶版となった。韓雪野に対する批判は北朝鮮の文学発展の大きな転換点となった。すなわちこの批判を契機に,党派性の鮮明な叙事詩や長編が多くつくりだされるようになり,さらには,複数の作家,詩人による集団創作の方法も積極的に導入されて,『歴史の夜明け道』『不滅の歴史』『血の海』『或る自衛団員の運命』などの金日成を神格化する叙事的大作が生み出されるようにもなった。

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百科事典マイペディアの解説

韓雪野【かんせつや】

朝鮮のプロレタリア作家,評論家。1925年,KAPF朝鮮プロレタリア芸術同盟)結成に加わる。最初は純文学的作品を発表していたが,やがて《人造瀑布》(1928年)《過渡期》《相撲》(ともに1929年)など土地を奪われた人々の姿を描くようになり,KAPF検挙の後工場を舞台にし《黄昏》(1936年)を発表。

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世界大百科事典 第2版の解説

かんせつや【韓雪野 Han Sŏr‐ya】

1900‐1976
朝鮮の作家。咸鏡南道咸興の生れ。咸興高等普通学校卒業後日本大学で学ぶ。帰国後1925年カップ(朝鮮プロレタリア芸術同盟)創建に参加,このころから作品活動を始め,李箕永(りきえい)と並んでプロレタリア作家の双璧と称される。34年カップの一斉検挙で投獄,36年出獄後最初の長編《黄昏》を書いた。解放後は北朝鮮で文学芸術同盟中央委員会委員長,教育文化相(大臣),朝鮮労働党中央委員,作家同盟中央委員会委員長等を歴任,要職にありながら作品活動を続けていたが,62年ころ何らかの批判をうけたらしく,いっさいの作品活動,社会活動を停止した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

韓雪野
かんせつや / ハンソルヤ
(1900―1962)

朝鮮の小説家。咸鏡(かんきょう)南道の生まれ。1919年三・一独立運動に参加して検挙され、一時北京(ペキン)に渡るが、21年日本大学社会学科に入学。帰国後創作を始め、25年『朝鮮文壇』に短編『その夜』が推薦されて文壇にデビュー。同年組織されたカップ(朝鮮プロレタリア芸術同盟)の盟員として長編『黄昏(たそがれ)』(1936)ほか創作、評論に活躍。解放後も北朝鮮文学芸術総同盟中央委員会委員長をはじめとする数々の要職を歴任しながら『大同江』『歴史』などの長編を書いた。60年には『韓雪野選集』が刊行された。[梶井 陟・金 学 烈]
『村上知行訳『歴史』上下(1960・くろしお出版) ▽李殷直訳『黄昏』(1960・朝鮮文化社)』

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世界大百科事典内の韓雪野の言及

【朝鮮文学】より

…これが世界プロレタリア文学運動の影響もうけて,朝鮮でも1925年に朝鮮プロレタリア芸術同盟(略称カップ)が結成され,一時は文学界を席巻するほどの勢いをみせた(1935解散)。農村の階級分化と農民の闘いを描いた李箕永(りきえい)の長編《故郷》(1933),紡績工場の労働闘争を描いた韓雪野の長編《黄昏》(1936)などが代表的作品といえる。いっぽう階級的立場に立たない民族主義的な作品傾向も根強く存在し,プロレタリア文学と拮抗しつつ,ともに日本の支配に抵抗した。…

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