須磨都源平躑躅(読み)すまのみやこげんぺいつつじ

精選版 日本国語大辞典 「須磨都源平躑躅」の意味・読み・例文・類語

すまのみやこげんぺいつつじ【須磨都源平躑躅】

浄瑠璃。時代物。五段。文耕堂・長谷川千四合作。享保一五年(一七三〇)大坂竹本座初演。「平家物語」「源平盛衰記」などより、忠度(ただのり)と岡部六彌太、敦盛と熊谷直実の二組の物語を取材した作。女装して扇屋に隠れる敦盛の危難を、熊谷が救う二段目の切が「扇屋熊谷」として名高く、「魁(さきがけ)源平躑躅」の外題歌舞伎化された。

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改訂新版 世界大百科事典 「須磨都源平躑躅」の意味・わかりやすい解説

須磨都源平躑躅 (すまのみやこげんぺいつつじ)

人形浄瑠璃。時代物。5段。文耕堂,長谷川千四の合作。1730年(享保15)11月4日(番付による)から大坂竹本座初演。《平家物語》《源平盛衰記》を題材としながら,直接には,謡曲忠度(ただのり)》,近松門左衛門作の1686年(貞享3)7月《千載集》(作者推定),同年初冬《薩摩守忠度》,88年(元禄1)《念仏往生記》(作者推定,改題本《大原問答》《大原問答青葉笛》《須磨寺青葉笛》)などを先行作とする。別名題《源平魁躑躅さきがけつつじ)》。薩摩守忠度は,藤原俊成の邸で,岡部六弥太のはからいにより,その妹裏菊と忍び会う。敦盛は,旧恩ある扇屋若狭方に,小萩と名を変え女装して身をかくしているが,若狭の娘桂子(かつらこ)が恋慕する。この敦盛に討手がかかるが,来合わせた熊谷直実の計らいにより,桂子が身替りとなって死ぬ。そして平家滅亡の予言が告げられ,平重衡と忠度は運命とあきらめる。その後敦盛は熊谷に討たれ,熊谷は出家を願う。忠度は流れ矢に当たり,裏菊の見る前で六弥太に討たれる。頼朝は重衡の命を助けて出家させる。女装の小萩と桂子の女同士色模様を趣向にした二段目切が独創に富んだ一場で名高く,《扇屋熊谷》として現在も上演される。影響作に,1751年(宝暦1)12月の《一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)》がある。なお,1832年(天保3)2月大坂沢村門太郎座(角の芝居)の《源平つつじ》には,《一谷嫩軍記》の〈組討〉を当て込んだ〈五条橋の場〉が書き加えられ,以後これが型になった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「須磨都源平躑躅」の意味・わかりやすい解説

須磨都源平躑躅
すまのみやこげんぺいつつじ

浄瑠璃義太夫(じょうるりぎだゆう)節。時代物。五段。文耕堂(ぶんこうどう)・長谷川千四(はせがわせんし)合作。1730年(享保15)11月大坂竹本座初演。『源平盛衰記』から一ノ谷合戦の熊谷(くまがい)・敦盛(あつもり)、薩摩守忠度(さつまのかみただのり)と岡部六弥太(ろくやた)の挿話を脚色。平家が都を須磨に置き、義経が躑躅谷に本陣を構えたことに、外題(げだい)の由来がある。歌舞伎(かぶき)化されて二段目「扇屋(おうぎや)」だけが後世に残り、1832年(天保3)西沢一鳳(いっぽう)が書き加えた「五条橋」の場をつけ、『源平魁(さきがけ)躑躅』『魁源平躑躅』などの外題で上演される。通称「扇屋熊谷」。平家都落ちで、無官太夫敦盛が扇屋上総(かずさ)の家に折子(おりこ)の小萩(こはぎ)と名のり女装してかくまわれていると、姉輪平次(あねわのへいじ)が詮議(せんぎ)にくるが、おりから訪れた熊谷直実(なおざね)の情けと、敦盛を恋慕する上総の娘桂子(かつらこ)の身替りによって救われる。女装の敦盛と桂子との同性愛的な色模様と熊谷の豪快な演技が見もので、熊谷・敦盛が再会を約して別れる「五条橋」は舞踊劇風の様式美が眼目。

[松井俊諭]

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「須磨都源平躑躅」の解説

須磨都源平躑躅
すまのみやこ げんぺいつつじ

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
作者
松田文耕堂 ほか
補作者
奈河晴助(1代) ほか
初演
文政5.5(大坂・市の側芝居)

出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の須磨都源平躑躅の言及

【源平合戦物】より

…今日上演される主要な作品を争乱の経過に沿って挙げていけば,まず保元・平治の乱関係では,浄瑠璃《源氏烏帽子折》や常磐津の所作事《恩愛瞔関守(おんないひとめのせきもり)》(通称《宗清》),また,頼朝,義経,義仲の挙兵をめぐっては,人形浄瑠璃に《鬼一法眼(きいちほうげん)三略巻》《源平布引滝》,歌舞伎に《梶原平三誉石切(ほまれのいしきり)》(原作は人形浄瑠璃《三浦大助紅梅靮(みうらのおおすけこうばいたづな)》),《大商蛭子島(おおあきないひるがこじま)》《那智滝祈誓文覚(ちかいのもんがく)》などがある。ついで《平家物語》と関連の深いものとしては,俊寛,清盛の対立を主題とする《平家女護島(によごのしま)》,義仲の最期をめぐる《ひらかな盛衰記》,一ノ谷の合戦にからめた《須磨都源平躑躅(すまのみやこげんぺいつつじ)》《一谷嫩軍記(ふたばぐんき)》,屋島の合戦をとりあげた《那須与市西海硯》などの浄瑠璃諸曲があり,さらに平家滅亡後の時期のものには,兄の頼朝に追われる悲運の義経に焦点を合わせた浄瑠璃《御所桜堀川夜討》や能を歌舞伎舞踊化した《船弁慶》のほか,戦死したはずの平家の武将たちが実は生きながらえていたという奇警な構想を展開させた浄瑠璃《義経千本桜》等々,本系列における代表的な傑作が多数生み出されている。なお,屋島の合戦に活躍した平家方の勇士景清を主人公とする歌舞伎の《錣引(しころびき)》以下,その敗北後のさまを描いた浄瑠璃《壇浦兜軍記》《嬢景清八島日記(むすめかげきよやしまにつき)》や歌舞伎十八番の《景清》など一群の作品もこの系統に属するものといえよう。…

【文耕堂】より

…その後は再び竹本座で著作を続け,24曲ほどを書いた。初期は長谷川千四との合作が多く,30年の《三浦大助紅梅靮》,同じく《須磨都源平躑躅(すまのみやこげんぺいつつじ)》,31年9月の《鬼一法眼三略巻(きいちほうげんさんりやくのまき)》,32年9月の《壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)》などがあり,現在も人形浄瑠璃,歌舞伎ともに上演されることが多い。ほかに,三好松洛との合作として36年(元文1)5月の《敵討襤褸錦(かたきうちつづれのにしき)》,37年1月の《御所桜堀川夜討(ごしよざくらほりかわようち)》,38年1月の《行平磯馴松(ゆきひらそなれまつ)》がある。…

※「須磨都源平躑躅」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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