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飯沼慾斎 イイヌマヨクサイ

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デジタル大辞泉の解説

いいぬま‐よくさい〔いひぬま‐〕【飯沼慾斎】

[1782~1865]江戸末期の医者・植物学者。伊勢亀山の人。宇田川榛斎(しんさい)小野蘭山らに師事。日本で最初のリンネ分類による「草木図説」を執筆。

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百科事典マイペディアの解説

飯沼慾斎【いいぬまよくさい】

江戸時代の本草学者。蘭方医。伊勢亀山に生まれ,名は長順。小野蘭山本草学を学び,のち江戸で宇田川榛斎について蘭方を修めて,大垣で開業。50歳で隠退,本草研究に専念。
→関連項目草木図説

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

飯沼慾斎 いいぬま-よくさい

1782-1865 江戸時代後期の医師,植物学者。
天明2年6月10日生まれ。母方の親戚で漢方医の飯沼長顕の養子となる。江馬蘭斎(らんさい),宇田川玄真に蘭方をまなび,美濃(みの)(岐阜県)大垣で開業。50歳で隠居し,植物研究に専念。日本最初のリンネ分類法による植物分類図鑑「草木図説」をあらわした。慶応元年閏(うるう)5月5日死去。84歳。伊勢(いせ)(三重県)出身。本姓は西村。名は長順。字(あざな)は竜夫。

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朝日日本歴史人物事典の解説

飯沼慾斎

没年:慶応1.閏5.5(1865.6.27)
生年:天明3(1783)
江戸後期の蘭方医,植物学者。幼名は本平,のち専吾,名は長順,通称は竜夫(2代),号は慾斎,ほかに蕉窓とも。伊勢国亀山(亀山市)の商人西村信左衛門の次男。母は飯沼長義の次女登勢。12歳で美濃国大垣の伯父飯沼長顕に入塾,のち京都に出て福井榕亭に漢方,小野蘭山に本草学を学ぶ。28歳で江戸の宇田川榛斎に入門し蘭方に転学,のち大垣に開業して流行医となる。天保3(1832)年50歳で家を義弟に譲り,隠居所の平林荘で植物研究に専念。本草学にあき足らず,蘭書で西欧の植物分類法を学び,リンネの24綱法によって日本の植物を観察分類し『草木図説』草部20巻・木部10巻を著した。顕微鏡を使って花の解剖図を描き印葉図を付したこの図説は,その正確さと美しさで海外にも広く知られ,日本における近代的植物分類学の創始の書となった。写真術も試みており,蘭書によってダゲレオタイプ(銀板写真)を実験,門下から小島柳蛙らの写真師を輩出させた。<著作>『南勢菌譜』『南勢海藻譜』『南海魚譜』『医説』<参考文献>飯沼慾斎生誕二百年記念誌編集委員会編『飯沼慾斎』

(遠藤正治)

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世界大百科事典 第2版の解説

いいぬまよくさい【飯沼慾斎】

1782‐1865(天明2‐慶応1)
江戸後期の蘭方医,博物学者。伊勢亀山藩の御用商人西村信左衛門の次男。幼名本平のちに専吾,名は守之,長順,字は竜夫,号は慾斎という。1794年(寛政6)大垣に出て,漢方医飯沼長顕の養子となる。1810年(文化7)江戸の宇田川榛斎の門に入り,蘭方を学び,大垣に帰って,蘭方医として開業した。32年(天保3)大垣近郊の長松村の別荘平林荘に隠居し,博物学の研究に専念した。52年(嘉永5)ごろに日本で最初のC.vonリンネの分類法による植物図鑑草木図説》草部20巻を完成し,56年(安政3)から62年(文久2)にかけて出版した。

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大辞林 第三版の解説

いいぬまよくさい【飯沼慾斎】

1783~1865) 江戸後期の植物学者。伊勢亀山の生まれ。名は長順。江戸で宇田川榛斎しんさいに医学を学ぶ。のち、植物学に転じ日本最初のリンネ分類による植物図説「草木図説」を作った。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

飯沼慾斎
いいぬまよくさい
(1782/1783―1865)

幕末期の植物学者。伊勢(いせ)国亀山西町(三重県亀山市)の藩御用商人西村信左衛門の次男として生まれる。幼名は本平、のちに専吾、名は守之(もりゆき)、長順、号は慾斎、字(あざな)は龍夫である。大垣に出て、漢方医飯沼長顕(1755―1815)の養子となり、28歳のとき江戸に出て、宇田川榛斎(しんさい)、藤井芳亭(ほうてい)に蘭学(らんがく)を学び、大垣に帰り、蘭方医を開業する。1832年(天保3)隠居して、大垣近郊の長松村(大垣市長松町)にある別荘平林荘で、博物学の研究に専念した。1843年三男興斎(1821―1887)を宇田川榕菴(ようあん)の養子に出す。日本で最初のリンネ分類による植物図譜『草木(そうもく)図説』を執筆し、草部20巻、木部10巻を完成させたが、江戸時代におけるヨーロッパ植物学の受容と理解の成果をここにみることができる。草部は1856年(安政3)から1862年(文久2)にかけて出版された。木部は江戸時代には未刊。墓は大垣市安井町の縁覚寺にある。[矢部一郎]

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世界大百科事典内の飯沼慾斎の言及

【草木図説】より

飯沼慾斎による植物図鑑。草類1250種,木類600種の植物学的に正確な解説と写生図から成る。…

【本草学】より

…やっと18世紀になって,貝原益軒の《大和本草》(1709)や稲生若水の《庶物類纂》(未完),小野蘭山《本草綱目啓蒙》(1806)などによって日本風の本草学が集成されていった。江戸時代末にはC.P.ツンベリーやP.F.vonシーボルトなどを介して西洋本草学の影響が及び飯沼慾斎《草木図説》(1852),岩崎灌園《本草図譜》(1828)などが出版され,日本の植物についての高い知見が示されていった。【岩槻 邦男】。…

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