馬山(読み)マサン(英語表記)Masan

デジタル大辞泉 「馬山」の意味・読み・例文・類語

マサン【馬山】

大韓民国南部、慶尚南道の昌原市の地区名。鎮海湾湾奥にあり、繊維などの工業が盛ん。独立した市だったが、2010年に昌原市に編入。ばさん。

ばさん【馬山】

マサン

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精選版 日本国語大辞典 「馬山」の意味・読み・例文・類語

ばさん【馬山】

韓国南部、慶尚南道南部にある鎮海湾に臨む都市。慶南平野の農産物集散地近海漁業基地。繊維・製紙機械工業も盛ん。古称合浦。マサン。

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改訂新版 世界大百科事典 「馬山」の意味・わかりやすい解説

馬山 (ばさん)
Masan

韓国,慶尚南道南海岸の都市。人口43万4371(2000)。鎮海湾の最奥部の馬山港を中心に形成された商工業都市である。馬山浦事件とよばれるロシアとの角逐を背景に,1899年各国居留地を設定した国際港として開港し,後背地の金海平野の農産物の積出港として発達しはじめ,のちには醸造,製紙などの地方工業も興った。解放後は,1960年に不正選挙に端を発する馬山事件が発生し,李承晩政権崩壊(四月革命)の導火線となった。朴正煕政権の下で70年に,外国企業を誘致して輸出産業を興し,外貨獲得を目的とする馬山輸出自由地域が設置された。70年代末までに約66万m2敷地雑貨,縫製加工品,電気機器類を主とする工場が約100ほど建設され,雇用人員3万人,輸出額5億ドルをあげるにいたり,市人口も1960年の15万7000人から75年には37万2000人へと増大し,韓国第7位の都市に浮上した。80年代に入ると,インフレの高進などによって,輸出自由地域を支えていた低賃金のメリットが縮小する一方,このような特殊地域の役割が終わったとする世論も生じ,撤退する外国企業が現れた。馬山市は輸出自由地域の産業の高度化をはかる一方,大規模な機械工業団地を造成している隣接の昌原市と一体の商工業都市への発展をはかっている。
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馬山 (まさん)

馬山(ばさん)

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百科事典マイペディア 「馬山」の意味・わかりやすい解説

馬山【ばさん】

韓国,慶尚南道,鎮海湾の奥,馬山湾に臨む港湾都市。天然の良港で,元寇(げんこう)のときモンゴル軍が日本征服の根拠地とした。機械器具,雑貨,化学製品などを生産する馬山輸出自由地域(1970年設置)がある。隣接する昌原市と一体の商工業都市への発展がめざされている。醸造業も盛んで,酒と醤油は有名。ほかに毛織・製紙工業があり,水産業も盛んで,タラ,タイ,サバなどがとれる。42万8000人(2005)。
→関連項目慶尚南道四月革命

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「馬山」の意味・わかりやすい解説

馬山
ばさん / マサン

韓国(大韓民国)、慶尚南道南海岸の馬山湾内に位置する港湾都市。1889年馬山浦が開港、1910年馬山府、49年府を市に改編。95年、昌原郡の一部と統合。面積329.47平方キロメートル、人口43万3695(2000)。各種工業と商業が盛んな都市である。近隣の昌原機械工業団地とともに南海岸拠点工業都市として発達し、繊維、電子、電気、機械、金属工業などが盛んである。外国人企業家の投資誘致試験地域として輸出自由地域が設けられており、日本企業も多数進出している。

[邢 基 柱]

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世界大百科事典(旧版)内の馬山の言及

【馬山】より

…人口43万1984(1995)。鎮海湾の最奥部の馬山港を中心に形成された商工業都市である。馬山浦事件とよばれるロシアとの角逐を背景に,1899年各国居留地を設定した国際港として開港し,後背地の金海平野の農産物の積出港として発達しはじめ,のちには醸造,製紙などの地方工業も興った。…

※「馬山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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