馬廻(読み)うままわり

精選版 日本国語大辞典 「馬廻」の意味・読み・例文・類語

うま‐まわり‥まはり【馬廻】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 一軍大将の乗っている馬の周囲
    1. [初出の実例]「義貞は兼てより馬廻(うまマハリ)に、勝れたる兵を七千余騎囲ませて」(出典太平記(14C後)一四)
  3. 大将を護衛して戦う直轄軍。また、その人々。旗本
    1. [初出の実例]「直に王にはをそれぢゃほとに、御馬まわりまで、書をまいらせらるるぞ」(出典:史記抄(1477)一三)

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改訂新版 世界大百科事典 「馬廻」の意味・わかりやすい解説

馬廻 (うままわり)

〈義貞ハ兼テヨリ馬廻ニ勝レタル兵ヲ七千余騎囲マセテ〉(〈《太平記》〉)とあるように,一軍の大将の乗っている馬の周囲を馬廻と言い,転じて合戦や社寺参詣などの出行の際,つねに大将である主君の周囲にいて護衛の任に当たり,全軍の中核をなした親衛隊的な騎馬の平侍を指す。馬廻の語は南北朝期以降みられるようになるが,馬廻の事実そのものは,それ以前から武士の家に存在した。任務の性格からしてとくに武芸・体力にすぐれた者を選抜してこれに当てた。その人数は主人の地位や勢力,合戦の規模などによってまちまちで一定していない。室町幕府の初期足利義満のころ将軍の〈御馬廻〉は2000騎とも3000騎とも言われた。当時将軍に近侍する特定の御家人は小侍所に属して近習などの諸役を務めていた。狭義の近習の外辺に近世の旗本にあたる直勤御家人の体制が生み出され,将軍直轄軍を構成した(番衆)。これら近習・番衆は,一般御家人と区別されて〈当参の御家人〉と呼ばれ,その戦時の姿がすなわち〈馬廻衆〉である。近習・番衆は将軍と直接的に結合しその関係はきわめて親密で,将軍権力の軍事的・政治的・経済的な基礎をなしたのである。

 南北朝期の馬廻は馬の周囲にあって供をする侍という意味を出なかったが,戦国末期になると一個の職制となり,後北条氏の馬廻衆などが有名。年齢の違い,構成員の資質職務分掌などにともない馬廻の分化もみられ,〈御馬廻御小姓衆弓鉄砲衆〉〈御小姓衆御馬廻年寄衆〉などが出現した。織田信長が彼の馬廻のなかから戦功の者20人をもって〈母衣衆〉を定めるなどのこともあった。江戸時代には幕府や藩に馬廻組が置かれ,組頭に統率された騎馬隊として,1組40-50人を定員としたが,のちには組数を減じ,組の員数を増す傾向が生まれた。馬廻組を小姓組とも言う。
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