在原氏(読み)ありわらうじ

改訂新版 世界大百科事典 「在原氏」の意味・わかりやすい解説

在原氏 (ありわらうじ)

平安時代の氏族平城天皇を祖とする。平城上皇をめぐって810年(弘仁1)に起こった〈薬子の変〉によって皇太子地位を追われた高岳(丘)親王の子善淵王・安貞王が,朝廷に申請して在原朝臣の姓を賜ったことにはじまる。ついで高丘親王の兄弟阿保親王の申請によって,その子行平王・業平王らも826年(天長3)在原朝臣となった。皇子への賜姓はこれより先814年(弘仁5)嵯峨天皇がその男女に源朝臣を賜ったほか,前後に多くみられるが,在原氏の場合は,平城上皇の失脚によって政治的に困難な立場にあった事情が考えられる。すなわち臣籍に下ることによって,皇位継承の資格を放棄し,これによって保身をはかったものであろう。したがって賜姓後も不遇で,在原行平中納言になったほかは公卿を出すことも少なく,ことに高丘親王系統は本来皇室の嫡流であるにもかかわらず,四,五位にとどまった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「在原氏」の意味・わかりやすい解説

在原氏
ありわらうじ

平城天皇(へいぜいてんのう)の皇胤(こういん)。高岳親王(たかおかしんのう)の系統と阿保親王(あぼしんのう)の系統との2流に分かれる。薬子(くすこ)の変(810)で皇太子を廃された高岳親王の子らに在原朝臣(あそん)を賜姓したのち、826年(天長3)阿保親王の要請により、その男女に在原氏を賜った。阿保親王の子在原行平(ゆきひら)は正三位(しょうさんみ)中納言(ちゅうなごん)に至り、その弟業平(なりひら)は在五中将(ざいごちゅうじょう)を称され、『伊勢物語(いせものがたり)』の主人公として著名である。後世栄えるのは業平の子孫である。「在原氏系図」が知られ、『続群書類従』にとられている。

[森田 悌]


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百科事典マイペディア 「在原氏」の意味・わかりやすい解説

在原氏【ありわらうじ】

〈ありはらうじ〉とも。嵯峨(さが)天皇のとき,廃太子高岳(たかおか)親王の子女に在原朝臣(あそん)を賜姓。次いで高岳親王の兄弟阿保(あぼ)親王が上表し,子の行平,業平(なりひら),守平,仲平は在原朝臣となり,六歌仙の一人業平の子孫が後まで栄えた。政治的には藤原氏に押され,振るわなかった。→在原業平

在原氏【ありはらうじ】

在原氏(ありわらうじ)

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「在原氏」の解説

在原氏
ありわらうじ

平安初期に,平城(へいぜい)天皇の皇子である高岳(たかおか)親王・阿保(あぼ)親王らの子らに賜った氏姓。薬子(くすこ)の変によって高岳親王は廃太子となり,阿保親王も左遷されて皇位から遠ざかった。高岳親王の子らは王号を止められて賜姓をうけ,826年(天長3)には阿保親王の上表に応じて,その子仲平・行平(ゆきひら)・守平・業平(なりひら)らに在原朝臣(あそん)の賜姓があった。行平は中納言まで進み,一門子弟のための大学別曹奨学院も設けられたが,氏の勢力はあまりふるわなかった。業平は歌人として著名。

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旺文社日本史事典 三訂版 「在原氏」の解説

在原氏
ありわらうじ

平安初期の皇族賜姓の一つ
平城天皇の皇子高岳 (たかおか) 親王・阿保親王の子女に在原姓が賜姓された。阿保親王の子行平は中納言まで進み,大学別曹奨学院を創設。行平の弟業平 (なりひら) は六歌仙の一人として著名。政治的には藤原氏に押され不振であった

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「在原氏」の意味・わかりやすい解説

在原氏
ありわらうじ

皇親賜姓の一つ。弘仁年間 (810~824) ,嵯峨天皇の廃太子高岳 (たかおか) 親王の子善潤,安貞にこの姓を賜わった。また天長3 (826) 年,平城天皇皇子阿保親王の子行平,業平らに賜わった。

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