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平城天皇 へいぜいてんのう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

平城天皇
へいぜいてんのう

[生]宝亀5(774).8.15. 京都
[没]天長1(824).7.7. 京都
第 51代の天皇 (在位 806~809) 。奈良の帝ともいう。名は安殿 (あで) 。桓武天皇の第1皇子。母は太政大臣藤原良継の娘乙牟漏。延暦4 (785) 年皇太子となり,大同1 (806) 年即位,在位中無用の官吏を整理し政務の簡素化をはかった。

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デジタル大辞泉の解説

へいぜい‐てんのう〔‐テンワウ〕【平城天皇】

[774~824]第51代天皇。在位806~809。桓武天皇の第1皇子。名は安殿(あて)。中央官制の縮小など政治の刷新に努めたが、病のため嵯峨天皇に譲位。のち、薬子(くすこ)の変で復位をはかったが失敗して出家。奈良の帝。

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百科事典マイペディアの解説

平城天皇【へいぜいてんのう】

桓武天皇皇子。藤原種継(たねつぐ)暗殺事件に連座して廃された皇太子早良(さわら)親王にかわって皇太子となり,806年即位。造都と征夷で疲弊した国家財政緊縮のため,官司を大幅に整理,民情把握のための観察使の創設などを行うが,病弱のため809年嵯峨天皇に譲位,旧都平城京へ移った。
→関連項目阿保親王在原業平

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

平城天皇 へいぜいてんのう

774-824 平安時代前期,第51代天皇。在位806-809。
宝亀(ほうき)5年8月15日生まれ。桓武(かんむ)天皇の第1皇子。母は藤原乙牟漏(おとむろ)。参議制を廃止して,観察使をおく。在位3年で同母弟嵯峨(さが)天皇に譲位するが対立。平城京にうつり「二所朝廷」とよばれた。藤原薬子(くすこ),その兄仲成の重祚(ちょうそ)の企てにのって失敗(薬子の変),仏門にはいった。天長元年7月7日死去。51歳。墓所は楊梅陵(やまもものみささぎ)(奈良市)。別名は安殿(あて)親王,日本根子天推国高彦天皇(やまとねこあめおしくにたかひこのすめらみこと)。
【格言など】故郷(ふるさと)となりにし奈良の都にも色はかはらず花は咲きけり(「古今和歌集」)

平城天皇 へいじょうてんのう

へいぜいてんのう

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朝日日本歴史人物事典の解説

平城天皇

没年:天長1.7.7(824.8.5)
生年:宝亀5(774)
平安前期の天皇。桓武天皇と皇后藤原乙牟漏(良継の娘)の第1子。奈良帝とも。小殿のちに安殿に改名。延暦4(785)年,藤原種継暗殺事件の嫌疑を受けて廃太子された早良親王にかわって立太子,大同1(806)年5月に即位した。生まれつき「風病(一種のノイローゼ)」気味であったが,即位当初は政治に意欲的に取り組み,観察使を諸道に派遣して平安京造営事業後の地方情勢を視察させたり,官司の統廃合を行うなど,政治経済の立て直しを推し進めている。しかし同4年4月,病気の悪化を理由に在位3年で弟神野親王(のちの嵯峨天皇)に譲位し,同12月平城旧都に移っている。皇太子時代から寵愛した藤原薬子やその兄仲成の介入で「二所朝廷」を現出,翌年9月平安京にいる貴族官人たちに平城京への還都を呼びかけたが,嵯峨側に機先を制せられ,東国に逃れようとして大和国添上郡越田村(奈良市)で捕らえられ,平城宮に連れ戻されて落髪入道した(薬子の変)。服毒自殺をとげた薬子亡きあと女性には心を開かず,ひとり平城旧宮で余生を送った。遺骸は平城京のすぐ北,楊梅陵に葬られ,その心をくんで平城と諡された。『凌雲集』『古今集』などに漢詩,和歌を収める。<参考文献>瀧浪貞子『平安建都』

(瀧浪貞子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

へいぜいてんのう【平城天皇】

774‐824(宝亀5‐天長1)
第51代に数えられる平安初期の天皇。在位806‐809年。名は安殿(あて)。桓武天皇を父とし,藤原良継の女皇后乙牟漏(おとむろ)を母として生まれた。785年(延暦4)皇太弟早良(さわら)親王が藤原種継暗殺に連座して廃されたため皇太子となり,806年(大同1)即位した。父桓武天皇の平安京建設と蝦夷征討の大事業による国家財政の破綻を収拾するために,律令制の官司を大幅に整理し,地方の民情視察のため観察使を創設するなど政治に努めた。

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大辞林 第三版の解説

へいぜいてんのう【平城天皇】

774~824) 第五一代天皇(在位806~809)。桓武天皇第一皇子。名は安殿あて、奈良の帝みかどとも。在位中官制の改革を行なった。病によって譲位。のち、重祚ちようそを企てる薬子くすこの変が起きた。詩文が「凌雲集」「古今集」に収められている。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

平城天皇
へいぜいてんのう
(774―824)

第51代とされる天皇(在位806~809)。名は安殿(あて)。桓武(かんむ)天皇の長子。母は皇后藤原乙牟漏(おとむろ)。785年(延暦4)皇太弟早良(さわら)親王が藤原種継(たねつぐ)暗殺事件に座して廃されたあと、皇太子となり、806年(大同1)即位。畿内(きない)七道に観察使を置いて地方政治に関する献策を行わせ、中央官司の大規模な整理統合を行うなど政治の刷新に努めたが、病のため809年弟の嵯峨(さが)天皇に譲位し上皇となり、平城の旧宮に引退した。その後、上皇は寵臣(ちょうしん)藤原仲成(なかなり)・薬子(くすこ)兄妹の意見をいれてしばしば国政に介入、「二所の朝廷」と称せられる事態が生じたため、810年(弘仁1)嵯峨天皇は平城宮に仕える官人を召喚、仲成を射殺した。上皇は兵を従えて東国に赴こうとして失敗、出家し、薬子は自殺した。上皇は以後政治に関与せず、824年(天長1)7月7日没、「日本根子天推国高彦尊(やまとねこあめおしくにたかひこのみこと)」の諡号(しごう)を受け、大和(やまと)国添下(そうのしも)郡の楊梅(やまもも)陵(奈良市佐紀(さき)町)に葬られた。[笹山晴生]

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世界大百科事典内の平城天皇の言及

【伊予親王】より

…しかし桓武天皇没後の807年10月に政治的陰謀事件にまきこまれて失脚し,母とともに自殺した。はじめ反逆の首謀者とみなされた藤原宗成が尋問の過程で伊予親王こそ首謀者であると主張したため,平城天皇は左中将安倍兄雄らをして親王らを捕らえ,母子を大和国川原寺に幽閉した。無実を主張する親王と母は飲食を断ち,親王の地位を廃された翌日,11月12日にみずから毒薬を飲んで自殺するという悲劇的な結末をとげた。…

【薬子の変】より

…平安初期の政治的事変。809年(大同4)4月,病気のために皇位を同母弟神野親王(嵯峨天皇)に譲った平城上皇(平城天皇)は,〈病を数処に避けて五遷〉し,この年12月に平城宮に居することとなった。一方この前後から嵯峨天皇も健康がすぐれず,翌810年(弘仁1)の朝賀は廃止され,7月には川原寺,長岡寺での誦経や伊勢大神宮への奉幣も行われた。…

【藤原薬子】より

…藤原種継の娘。はじめ藤原縄主(ただぬし)と結婚し3男2女を産んだが,娘が皇太子安殿親王(平城天皇)のもとに入内したのを機に東宮坊宣旨として仕えたが,皇太子との醜聞により桓武天皇に追放された。806年(大同1)平城天皇が即位すると尚侍(ないしのかみ)となり,809年には正三位となった。…

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