香川景樹(かげき)(号、桂園)とその門流をいう。景樹の「調(しらべ)の説」による新歌論と清新優雅な作風は全国に波及し、景樹門人の概数は1000人に達し、熊谷直好(くまがいなおよし)、木下幸文(たかふみ)を双璧(そうへき)として、桃沢夢宅(ももさわむたく)、赤尾可官(あかおよしたか)、菅沼斐雄(すがぬまあやお)、高橋残夢、穂井田忠友(ほいだただとも)、内山真弓(まゆみ)、八田知紀(はったとものり)、渡忠秋(わたりただあき)ら、女流では秋園古香(ひさか)、高畠式部(たかばたけしきぶ)らが活躍し、そのまた門流も育成されて、近世後期の歌壇に大きな勢力を占めた。明治維新後は宮中御歌所(おうたどころ)に八田知紀、渡忠秋が登用され、知紀門下の高崎正風(まさかぜ)が御歌所長に任命され、松波資之(まつなみすけゆき)、黒田清綱、税所敦子(さいしょあつこ)らがこれを助け、御歌所を拠点として桂園派は歌界に君臨した。正岡子規(しき)はこの重圧に反発して、和歌から短歌へと近代化の道を開いた。
[兼清正徳]
『兼清正徳著『桂園派歌人群の形成』(1972・史書刊行会)』
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江戸後期の和歌の流派。その活動は明治期にも及んだ。「しらべ」の説を提唱した香川景樹(かげき)の歌学を継承する。桂園は景樹の雅号。門人は全国にわたり,おもな歌人に景樹の子景恒,桂門の四天王といわれる熊谷直好(くまがいなおよし)・木下幸文(たかふみ)・菅沼斐雄(あやお)・高橋残夢(ざんむ)のほか,児山紀成(こやまのりしげ)・中川自休(じきゅう)・内山真弓・八田知紀・渡忠秋・氷室長翁(ながとし)・誠拙(せいせつ)禅師らがいる。
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…号は桂園,東塢(とうう)亭など。桂園派の祖。因幡国鳥取藩の藩士荒井家に生まれる。…
…さらに〈ただごと歌〉を主張した小沢蘆庵,〈調べの論〉を提唱した香川景樹の2人は,反真淵の立場を前面に出すことで,自身の作風を鮮明にした。とくに,古今風を標榜(ひようぼう)した景樹の門流は隆盛をきわめ,江戸時代最大の流派〈桂園派〉を形成した。なお幕末にいたって,流派にとらわれることなく,自在な詠風を見せる歌人が登場した。…
※「桂園派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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