日本に古くからある青銅鏡の中には,水銀を塗布して仕上げられた鏡面をじかに見てもふつうの金属鏡と変りがないのに,そこに太陽光線を当てて反射光を白壁などに投影すると,鏡背に鋳造された仏像とか経文とかが明るく写し出されるという不思議なものがある(図1)。鏡を神体化する信仰の強かった中国と日本に昔からこの種の鏡があって,金属鏡の中でもとくに宗教的崇敬を集めてきた。日本にこれがあらわれたのは江戸時代からであるが,製造,修復の際の日本人の手先の器用さも手伝って,明治初期にはすでに相当数のものが存在した。そのころ来日した西洋人科学教師たちはこれに深い興味をおぼえ,magic mirrorと呼んでその調査,研究を開始した。この奇現象に初めて科学のメスが加えられることになったわけである。魔鏡の中には,鏡背を二重にして,鏡の背面に見えている文様とはまったく別の投影像があらわれるようにしたものもあった。それらの中にはマリア観音のあらわれるものもあり,隠れキリシタンが用いたのである。
日本で最初に魔鏡の科学的な研究に手をつけたのは,イギリス人教師のR.W.アトキンソン,同じくW.E.エアトンおよびJ.ペリー,フランス人教師G.F.ベルソンであるが,続いて後藤牧太,村岡範為馳もそれぞれの研究結果を発表した。彼らは,魔鏡現象の原因を,鋳造された鏡背の凹凸模様,すなわち鏡板の肉厚の部分的差異に応じて,(1)鏡面の反射率に部分的な差異があらわれるため,あるいは(2)鏡面の曲率半径に部分的な差異があらわれるため,と推定したが,最近の研究によって(2)が正しいことが明らかになっている。すなわち,図2に示すように,魔鏡の鏡面は,ふつう,全体としてやや凸面になっていて,そのうち,肉厚部分は平面に近く,肉薄部分はより凸状であるため,平行光線を受けると,肉厚部分からの反射光線はほぼ平行のまま進んで壁面上に明るい映像をつくるが,肉薄部分からの反射光線はしだいに分散していくので暗い像しかつくらない。このようにして,壁面には,肉厚の差,すなわち鏡背の文様に応じた明暗の像が投影されることになるのである。このような曲率の部分的差異が生ずるのは,鏡面をみがいていく過程で,それも相当に薄くなるまでみがいた場合であることが判明している。
アメリカのオハイオ州立大学では,日本から帰ったE.S.モースが講演の中で触れた日本の魔鏡の話から,1880年創刊の学生の年刊誌を《The Makio》と命名し,その表紙を,日本人が毛筆で書いた魔鏡という文字で飾った。にれのき工房制作の映画《魔鏡》には,魔鏡製作技術の唯一の継承者である山本凰竜(無形文化財)による魔鏡製作の過程が,明治初期の魔鏡研究史とともに収められている。一方,江戸川乱歩の《鏡地獄》や和久峻三の《鏡のなかの殺人者》には魔鏡の話がとり入れられている。なお,中国では昔から魔鏡のことを〈透光鑑〉と呼んできた。
執筆者:渡辺 正雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
[1973~ ]プロ野球選手。愛知の生まれ。本名、鈴木一朗。平成3年(1991)オリックスに入団。平成6年(1994)、当時のプロ野球新記録となる1シーズン210安打を放ち首位打者となる。平成13年(...
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