鶴峯戊申(読み)つるみねしげのぶ

精選版 日本国語大辞典 「鶴峯戊申」の意味・読み・例文・類語

つるみね‐しげのぶ【鶴峯戊申】

  1. 江戸後期の国学者。字(あざな)は世霊。通称彦一郎。豊後国大分県)の人。平田篤胤師事和漢蘭学に通じ、水戸藩につかえる。著「語学新書」は当時のオランダ語文法書にならって品詞分類した日本文法書の先駆天明八~安政六年(一七八八‐一八五九

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「鶴峯戊申」の意味・わかりやすい解説

鶴峯戊申
つるみねしげのぶ
(1788―1859)

江戸後期の国学者。通称は左京、彦一郎。字(あざな)は世霊、季尼。号は海西。天明戊申(てんめいぼしん)8年、豊後(ぶんご)(大分県)臼杵八坂(うすきやさか)神社神官鶴峯宜綱(のぶつな)の子として生まれる。15歳のころ本居宣長(もとおりのりなが)の著作を読み、古学にあこがれる。17歳の1804年(文化1)京都に上り村上圓方(むらかみえんぽう)、山田以文(やまだいぶん)(1761―1835)らに国学を学び、古訓の世界を深めた。1809年、当時伝来の西洋天文新説である地動説に接し、その日本古訓の世界に合致することに驚くとともに、西洋科学と古伝考証の習合に努めた。『徴古究理(ちょうこきゅうり)』『究理或問(わくもん)』はその成果である。のち平田篤胤(ひらたあつたね)との間に剽窃(ひょうせつ)論争をおこすが、その因もここにある。一方、オランダ文法の知識により日本語を九品九格に分類し、『語学新書』(1831成立)にまとめる。1832年(天保3)45歳で江戸中橋南大工町に究理塾を開き、門下奥村喜三郎(生没年不詳)を通して、高野長英(たかのちょうえい)、渡辺崋山(わたなべかざん)の新知識に接する。また水戸彰考館(しょうこうかん)の立原杏所(たちはらきょうしょ)(1786―1840)と交わり、水戸藩主徳川斉昭(とくがわなりあき)の知遇を得、小石川水戸藩史館で編集校合御用を勤める。1849年(嘉永2)7月『内密問答書』を斉昭に献じ、外国との通商開国を唱える。なおキリスト教にも関心をもった。安政(あんせい)6年水戸藩邸にて没す。

[藤原 暹 2016年6月20日]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鶴峯戊申」の意味・わかりやすい解説

鶴峯戊申
つるみねしげのぶ

[生]天明8(1788).7.22. 豊後
[没]安政6(1859).8.24. 江戸
江戸時代後期の国学者,言語学者。通称は和佐治,左京,のち彦一郎。字は世霊,季尼,号は皐舎,海西。豊後臼杵の郷社八坂神社神主,宜綱の子。文化1 (1804) 年 17歳で上京し,和歌を綾小路俊資に,暦算を陰陽頭安倍氏に学び,国学を小山田与清,平田篤胤に学んだ。 45歳で江戸に出て水戸侯徳川斉昭の知遇を受け,安政3 (56) 年藩士となった。その学は言語,歴史,文学,天文,暦算にわたり博覧強記,『語学新書』 (33) はオランダ文典に範をとり国語の法則を説明した日本文典の嚆矢。師篤胤以上にキリスト教の影響を受け文化8 (11) 年の『本教異聞』では天文学,キリスト教思想による日本開闢説の理論化がはかられている。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鶴峯戊申」の解説

鶴峯戊申 つるみね-しげのぶ

1788-1859 江戸時代後期の国学者。
天明8年7月22日生まれ。京都で山田以文(もちふみ)にまなぶ。天保(てんぽう)3年江戸で究理塾をひらく。晩年は水戸藩和書編集所につとめた。安政6年8月24日死去。72歳。豊後(ぶんご)(大分県)出身。字(あざな)は世霊,季尼。通称は左京,彦一郎。号は皐舎,海西。著作に「語学新書」「究理或問」など。

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367日誕生日大事典 「鶴峯戊申」の解説

鶴峯戊申 (つるみねしげのぶ)

生年月日:1788年7月22日
江戸時代後期の国学者;究理学者
1859年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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