鶴沢文蔵(読み)つるざわぶんぞう[いっせい]

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鶴沢文蔵」の意味・わかりやすい解説

鶴沢文蔵(1世)
つるざわぶんぞう[いっせい]

[生]?
[没]文化4 (1807)
義太夫節三味線方。通称児島屋。1世鶴沢友次郎門弟。宝暦4(1754)年頃から竹本座に出座。明和2(1765)年に三味線方筆頭となる。故実に詳しく,演奏だけでなく作曲にも妙を得ていて,同8年初演の『妹背山婦女庭訓』では,「初段から切迄大方此お人の御世話」と称賛され,天明1(1781)年の評判記では太夫をさしおいて巻頭に据えられた。寛政12(1800)年に 2世鶴沢友次郎を襲名。義太夫節の作曲および伝承の主体が,太夫から三味線方に移行する時代を象徴する人物で,門弟の 1世鶴沢清七が三味線の楽譜である「朱」を考案している。(→浄瑠璃人形浄瑠璃文楽

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「鶴沢文蔵」の解説

鶴沢 文蔵(4代目)
ツルザワ ブンゾウ


職業
義太夫節三味線方(文楽)

本名
成川 清吉

生年月日
天保11年

経歴
2代目鶴沢勇造の門弟。万延年代から出演、明治中ごろ立者となる。鬼勇、文教、3代目鶴沢勇造を経て、明治29年以前に4代目文蔵を襲名。竹本長尾太夫、同綱太夫、綾瀬太夫、播磨太夫らの相方を務めた。うまい弾き手で重用されたが、大酒飲みであった。

没年月日
明治34年 2月8日 (1901年)


鶴沢 文蔵(5代目)
ツルザワ ブンゾウ


職業
義太夫節三味線方

本名
鈴木 清吉

生年月日
安政1年

経歴
鬼勇、豊沢花助、4代目鶴沢勇造を経て、大正3年5代目鶴沢文蔵を襲名。

没年月日
大正4年 1月30日 (1915年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「鶴沢文蔵」の解説

鶴沢 文蔵(5代目)
ツルザワ ブンゾウ

大正期の義太夫節三味線方



生年
安政1年(1855年)

没年
大正4(1915)年1月30日

本名
鈴木 清吉

経歴
鬼勇、豊沢花助、4代目鶴沢勇造を経て、大正3年5代目鶴沢文蔵を襲名。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鶴沢文蔵」の解説

鶴沢文蔵(3代) つるざわ-ぶんぞう

1781-1834 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
天明元年生まれ。初代鶴沢清七(3代鶴沢友次郎)の門人。文政8年3代文蔵を襲名。竹本播磨大掾(はりまのだいじょう),2代豊竹巴太夫(ともえだゆう)らの三味線方をつとめた。天保(てんぽう)5年9月23日死去。54歳。大坂出身。前名は鶴沢伝吉(初代)。通称は備前屋。

鶴沢文蔵(4代) つるざわ-ぶんぞう

1840-1901 幕末-明治時代の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
天保(てんぽう)11年生まれ。2代鶴沢勇造の門人。明治10年ごろ4代文蔵を襲名,おもに東京の舞台で活躍した。明治34年2月8日死去。62歳。江戸出身。本名は成川清吉。初名は鶴沢鬼勇(初代)。前名は鶴沢勇造(3代)。

鶴沢文蔵(5代) つるざわ-ぶんぞう

1854-1915 幕末-大正時代の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
嘉永(かえい)7年5月4日生まれ。3代鶴沢勇造(4代鶴沢文蔵)の門人。2代鶴沢鬼勇,豊沢花助をへて明治29年4代鶴沢勇造,大正3年5代文蔵を襲名した。大正4年1月30日死去。62歳。江戸出身。本名は鈴木清吉。

鶴沢文蔵(2代) つるざわ-ぶんぞう

?-? 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
義太夫節。初代鶴沢文蔵(2代鶴沢友次郎)の門人。享和元年(1801)ごろ2代文蔵を襲名した。京都出身。前名は鶴沢伊八。

鶴沢文蔵(初代) つるざわ-ぶんぞう

鶴沢友次郎(つるざわ-ともじろう)(2代)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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