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黒川利雄 くろかわとしお

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

黒川利雄
くろかわとしお

[生]1897.1.15. 北海道,三笠
[没]1988.2.21. 東京
医学者,学士院院長。 1922年東北大学医学部卒業後,30年ドイツへ留学し,帰国後は同大学医学部教授 (1941) ,同学部長 (48~53) ,同学長 (57~63) を歴任。 63年退官後,癌研究会附属病院長 (63~73) ,同名誉院長 (73) ,また 86年には 19代目の学士院院長に就任。ドイツ留学の際ミュンヘン大学で学んだ消化器レントゲン診断法を,当時東北地方に多かった胃癌の検診に適用,胃癌は早期発見により治癒することを明らかにした。西山正治と「黒川・西山式レ線間接狙撃撮影機」を開発 (56) ,宮城対がん協会を指導してレントゲン装置「黒川・西山式胃集団検診用専用透視撮影台」を積載した検診車を県内に走らせ,60年から胃癌の早期発見に努める集団検診法,「宮城方式」を推進,全国への普及の礎を築いた。 68年に文化勲章を受章。

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デジタル大辞泉の解説

くろかわ‐としお〔くろかはとしを〕【黒川利雄】

[1897~1988]医学者。北海道の生まれ。東北大学学長。癌(がん)研究会付属病院長。胃癌の早期発見に力をつくし、集団検診を創始。昭和43年(1968)文化勲章受章。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

黒川利雄 くろかわ-としお

1897-1988 昭和時代の内科学者。
明治30年1月15日生まれ。ウィーン大に留学,消化管のX線診断法をまなぶ。昭和16年母校東北帝大の教授,32年東北大学長。のち癌(がん)研究会付属病院長をつとめた。日本ではじめてX線胃検診車による集団検診をおこない,胃がんの早期発見につくす。43年文化勲章。昭和63年2月21日死去。91歳。北海道出身。

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大辞林 第三版の解説

くろかわとしお【黒川利雄】

1897~1988) 医学者。北海道生まれ。東北大医学部長・学長。胃癌の集団検診を創始。のち癌研付属病院長。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

黒川利雄
くろかわとしお
(1897―1988)

内科学者。北海道三笠(みかさ)市生まれ。1922年(大正11)東北帝国大学(現、東北大学)医学部を卒業。消化器病を専攻し、1927年(昭和2)「注入せられた葡萄糖(ぶどうとう)の運命、特に体細胞の糖収容能力に就(つい)て」で医学博士となり、1930年ウィーン大学に留学、胃腸管のレントゲン診断法を学ぶ。1941年東北帝国大学医学部教授、1948年同医学部長、1957年同学長を務めた。1956年西山正治(にしやましょうじ)(1922―1993)と胃のX線検査機「黒川・西山式レ線間接狙撃(そげき)撮影機」を開発、これを積載した胃検診車をも開発、「宮城方式」とよばれる胃癌(いがん)集団検診を行った。のちにレントゲンや内視鏡による胃癌の細胞学的な診断法を確立した。1963年東京の癌研究会(現、がん研究会)附属病院長、のち名誉院長、1986年には日本学士院長となる。1968年文化勲章を受章。著書に『消化管のレントゲン診断』など。昭和63年2月21日没。[編集部]

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