黒田清綱(読み)クロダキヨツナ

デジタル大辞泉 「黒田清綱」の意味・読み・例文・類語

くろだ‐きよつな【黒田清綱】

[1830~1917]政治家歌人鹿児島の生まれ。清輝せいき養父幕末王政復古運動に奔走和歌に秀で、明治大正天皇の和歌の師。貴族院議員・枢密顧問官。著「滝園歌集」。

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精選版 日本国語大辞典 「黒田清綱」の意味・読み・例文・類語

くろだ‐きよつな【黒田清綱】

  1. 幕末・明治の政治家、歌人。子爵薩摩藩士。清輝(せいき)の養父。討幕運動に参加し、維新後、元老院議官貴族院議員、枢密顧問官を歴任。明治・大正両天皇の歌道の師となる。著に「滝園歌集」。天保元~大正六年(一八三〇‐一九一七

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新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「黒田清綱」の解説

黒田 清綱
クロダ キヨツナ


肩書
枢密顧問官,貴院議員(勅選)

別名
通称=新太郎 号=滝園

生年月日
文政13年3月21日(1830年)

出生地
薩摩国鹿児島城下高見馬場(鹿児島県)

経歴
幼少より藩学造士館の童子員として学び、22歳の時島津斉彬により史館見習役、ついで史館副役に挙げられ、元治元年軍賦役となる。慶応2年幕府が長州再征に当って筑前にある五卿を大阪に招致しようとした際、藩命により太宰府に赴き、幕臣に談判して五卿の移転をくいとめた。次いで同年薩摩藩の正使として山口を訪れ、藩主毛利敬親の引見を受けるなど、幕末期志士として国事に奔走。明治元年山陰道鎮撫総督府参謀を命ぜられ、凱旋後鹿児島藩参政となった。3年弾正少弼、4年東京府大参事、5年教部少輔、ついで文部少輔、8年元老院議官となり、20年子爵授爵、23年勅選貴族院議員、33年枢密顧問官に就任、宮内省御用掛を兼ねた。歌を八田知紀に学び、滝園社を開いて子弟を教授。45年御歌所長高崎正風の没後は大正天皇、貞明皇后の御製御歌をみた。歌集に「庭につみ」「滝園歌集」など。

没年月日
大正6年3月23日

家族
養子=黒田 清輝(洋画家)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「黒田清綱」の解説

黒田清綱 くろだ-きよつな

1830-1917 明治時代の官僚,歌人。
文政13年3月21日生まれ。黒田清輝の養父。東京府大参事,元老院議官などをへて明治33年枢密顧問官となる。和歌を八田知紀(とものり)にまなび,宮内省歌所所長もつとめた。貴族院議員。子爵。大正6年3月23日死去。88歳。薩摩(さつま)(鹿児島県)出身。通称は新太郎,号は滝園。歌集に「滝園歌集」「滝のしぶき」など。

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世界大百科事典(旧版)内の黒田清綱の言及

【黒田清輝】より

…本名は〈きよてる〉と読む。薩摩藩士黒田清兼の長子として鹿児島に生まれ,伯父黒田清綱(1830‐1917)の養子となり,1872年(明治5)上京。清綱は元老院議官,歌人としても知られた。…

※「黒田清綱」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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