龍徳寺(読み)りゆうとくじ

日本歴史地名大系 「龍徳寺」の解説

龍徳寺
りゆうとくじ

[現在地名]小樽市真栄一丁目

勝納かつない川下流域右岸にある。曹洞宗。海雲山と号する。本尊釈迦如来。一八五八年(安政五年)一〇月箱館高龍こうりゆう寺の出願幕府から許可され、同年一一月箱館奉行所より地所割渡しを受け、ヲタルナイ詰支配定役の宇津木頼母がその執行にあたった(「同役衆進達留」国会図書館蔵)。山号は出願時の高龍寺住持の名にちなむ。教団の寺号認可は一八六一年(文久元年)二月という(寺院沿革誌)。当寺建立の背景に西蝦夷地南部の鰊漁による繁栄があり、創建当初仮本堂とともに金毘羅堂が建立されており、海上安全の祈願への期待であろう。


龍徳寺
りようとくじ

[現在地名]池田町本郷

本郷ほんごう集落東部にある臨済宗妙心寺派寺院。本尊釈迦如来。弘仁年間(八一〇―八二四)最澄による創建で、竜昇山雲門寺と号していたが、観応二年(一三五一)北面武士で土岐一族の池田教依が伽藍再建、雲門山龍徳寺と改めたという。この時改宗したものか。のち兵火にかかるが、応永年間(一三九四―一四二八)本郷城主の国枝為助が悟渓国師を招いて再建した。観応二年や応安五年(一三七二)をはじめとする売券や、文明一八年(一四八六)寄進状など多くの文書を蔵する。一五世紀後半に池田庄平野ひらの(中心は現安八郡神戸町)の土地を集積したことが知られる。


龍徳寺
りゆうとくじ

[現在地名]東郷町中興寺

中興寺ちゆうこうじの東方、龍徳寺山麓に位置する。昭暉山と号し、曹洞宗。本尊釈迦如来。永正年間(一五〇四―二一)和田定光わだじようこう(現倉吉市)の端翁玄鋭の開山と伝え、以来三三世を数えるという。宝暦年間(一七五一―六四)および天明六年(一七八六)に火災に遭い、寺中残らず焼失したと伝える(「松田休意日記」松田家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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