結城孫三郎(読み)ユウキマゴサブロウ

デジタル大辞泉 「結城孫三郎」の意味・読み・例文・類語

ゆうき‐まごさぶろう〔ゆふきまごザブラウ〕【結城孫三郎】

糸操り人形遣い
(初世)江戸前期の人形芝居の座元。江戸葺屋ふきや町に結城座を開いたとされる。生没年未詳
(9世)[1869~1947]東京の生まれ。糸操り人形芝居の手操りを改革、芸域を広げて結城座の地位を確立した。

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精選版 日本国語大辞典 「結城孫三郎」の意味・読み・例文・類語

ゆうき‐まごさぶろう【結城孫三郎】

  1. 江戸の糸操り人形遣い。
  2. [ 一 ] 初世。説経節の太夫で元祿一六八八‐一七〇四)の初めころ、江戸葺屋町に操座を創立したといわれる。生没年未詳。
  3. [ 二 ] 九世。本名田中清太郎。写絵(うつしえ)師の両川(もろかわ)船遊の子。従来の糸操りを改革して新生面を開いた。明治四~昭和二二年(一八七一‐一九四七
  4. [ 三 ] 一〇世。九世の長男。現代劇やテレビの分野にも進出。多くの新作人形劇を手がけ、海外でも好評を博した。昭和四七年(一九七二雪斎と改名。明治四〇~平成九年(一九〇七‐九七

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改訂新版 世界大百科事典 「結城孫三郎」の意味・わかりやすい解説

結城孫三郎 (ゆうきまごさぶろう)

江戸の人形芝居の太夫・座元名。現在まで11代を数えるが,その伝系については不明な点が多い。初世は17世紀後半から18世紀前半にかけて江戸の説経節の太夫として活躍,17世紀後半に江戸の葺屋町で説経節の芝居小屋結城座を創設した。《越前国永平寺開山記》《法蔵比丘》などの正本を残している。2世以降の伝記はほとんど不明であるが,太夫としてよりも,座元ないしは名代名として存続しており,3世は1775年(安永4)に没している。説経節が衰えると,義太夫芝居や素浄瑠璃,子供芝居を上演していたことが番付類や《旧記拾葉集》その他の資料に散見する。その間,興行不振でしばしば休座もしており,1830年(天保1)に6世孫三郎が再興した記録がある。1900年,東京市村座の舞台で糸操(あやつ)りを始めた結城孫三郎(1871-1947)は8世の甥と称して9世を名のった。本名田中清太郎,幕末の写絵師両川(りようかわ)亭船遊の子で,明治から大正,昭和にかけて活躍,糸操りの結城座の地位を確立した。彼の死後,その子結城一糸が10世を継ぎ,テレビ,寄席,地方興行などをつづけ,現在はさらにその長男の一糸が11世孫三郎を継いで,東京都武蔵野市吉祥寺本町の稽古場を本拠に活発な興行活動をつづけている。古典のほかに新作物も多く手がけ,戦後,東京都無形文化財に指定された。なお,10世の次男は両川船遊を名のり人形遣いと写絵師を兼ねている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「結城孫三郎」の意味・わかりやすい解説

結城孫三郎
ゆうきまごさぶろう

糸操りの人形遣いの名跡(みょうせき)。初世は説経節の太夫(たゆう)で、1635年(寛永12)江戸葺屋(ふきや)町に説経節の人形芝居結城座の櫓(やぐら)をあげたといわれる。その後、代々結城座の座元として幕末まで操芝居(あやつりしばい)を興行していたようだが、2~8世の伝記は未詳。明治から大正・昭和初期にかけて活躍した9世孫三郎(1870―1947)は写し絵師両川亭船遊(りょうかわていせんゆう)の子で、従来の糸操りを大改革し、義太夫(ぎだゆう)物のほかに歌舞伎(かぶき)仕立ての各種浄瑠璃(じょうるり)や長唄(ながうた)物から新派劇にも手を広げ、優れた技術によって名人といわれた。10世(1907―97)は9世の長男。前名一糸(いっし)から、父の没した直後の1947年(昭和22)に孫三郎を襲名。一座を率いて、実験放送時代からテレビに進出し、俳優との共演も含め多くの新作人形劇を手がけ、また各地の学校を巡演して糸操りの啓蒙(けいもう)に貢献した。72年に長男の2世一糸に孫三郎の名跡を譲り、雪斎(せっさい)と改名した。11世(1934― )は父の業績を受け継ぎ、さらに前衛劇的な作品を含めた野心的な公演や海外公演などで、旺盛(おうせい)な活動を続けたが、事情あって名跡を返上。現12世(1943― )は10世の次男。前名の両川船遊から93年(平成5)に孫三郎を襲名した。

[松井俊諭]

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「結城孫三郎」の解説

結城 孫三郎(9代目)
ユウキ マゴサブロウ


職業
糸あやつり人形遣い

肩書
結城座9代目座長

本名
田中 清太郎

別名
初名=亀屋 孫三郎,前名=両川亭 船遊(2代目)

生年月日
明治4年 8月

出生地
東京

経歴
写し絵師で両川亭船遊を名乗る。のち糸あやつり人形遣い・山本三之助らに師事し、明治33年9代目結城孫三郎と改名して写し絵から糸あやつりに転じた。従来の糸あやつりに独自の改良を加えて義太夫物のほか新派劇にも手を染め、優れた技術で名人といわれた。

没年月日
昭和22年 1月11日 (1947年)

家族
父=両川亭 船遊(写し絵師),長男=結城 雪斎(結城孫三郎10代目),孫=田中 純(結城孫三郎11代目),結城 孫三郎(12代目) 結城 一糸(3代目)

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20世紀日本人名事典 「結城孫三郎」の解説

結城 孫三郎(9代目)
ユウキ マゴサブロウ

明治〜昭和期の糸あやつり人形遣い 結城座9代目座長。



生年
明治4年8月(1871年)

没年
昭和22(1947)年1月11日

出生地
東京

本名
田中 清太郎

別名
初名=亀屋 孫三郎,前名=両川亭 船遊(2代目)

経歴
写し絵師で両川亭船遊を名のる。のち糸あやつり人形遣い・山本三之助らに師事し、明治33年9代目結城孫三郎と改名して写し絵から糸あやつりに転じた。従来の糸あやつりに独自の改良を加えて義太夫物のほか新派劇にも手を染め、優れた技術で名人といわれた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「結城孫三郎」の解説

結城孫三郎(11代) ゆうき-まごさぶろう

1934- 昭和-平成時代の糸操(あやつ)り人形遣い。
昭和9年12月6日生まれ。10代結城孫三郎の長男。昭和13年日本橋倶楽部(クラブ)で初舞台。47年11代を襲名して結城座座主となる。58年三鷹市に武蔵野芸能劇場を建設。NHKテレビで「猿飛佐助」を制作,また「マクベス」などを人形劇化した。平成2年結城座をはなれ,のち「操り座おどらでく」を結成。東京出身。本名は田中純。

結城孫三郎(10代) ゆうき-まごさぶろう

1907-1997 昭和時代の糸操(あやつ)り人形遣い。
明治40年1月9日生まれ。9代結城孫三郎の長男。昭和22年10代を襲名。テレビ,寄席などに進出し,古典のほか新作物にも力をそそいだ。32年芸術祭賞受賞。47年長男に名跡をゆずり,雪斎と改名。平成9年12月13日死去。90歳。東京出身。本名は田中清。前名は結城一糸。著作に「糸あやつり」。

結城孫三郎(9代) ゆうき-まごさぶろう

1871-1947 明治-昭和時代前期の糸操(あやつ)り人形遣い。
明治4年生まれ。写絵師(うつしえし)両川亭(りょうせんてい)船遊の子。従来の糸操りを改良して芸域をひろげ,結城座の地位を確立した。昭和22年1月11日死去。77歳。東京出身。本名は田中清太郎。

結城孫三郎(初代) ゆうき-まごさぶろう

?-? 江戸時代前期の人形芝居の座元。
寛文5年(1665)江戸で説経節の人形芝居結城座をひらいたとつたえられる。のちの代になって義太夫節の糸操(あやつ)り人形芝居を興行したというが,2代から8代までの伝記は不明。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「結城孫三郎」の意味・わかりやすい解説

結城孫三郎
ゆうきまごさぶろう

人形芝居座元,および人形遣い。1世は近世初期 (一説に元禄頃ともいう) 以来,江戸の説経人形座座元,説経太夫。近世後期には,結城座は義太夫節人形浄瑠璃座に転向,孫三郎の名跡は代々結城座座元名として受継がれ,明治初期の8世にいたった。

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367日誕生日大事典 「結城孫三郎」の解説

結城 孫三郎(10代目) (ゆうき まごさぶろう)

生年月日:1907年1月9日
昭和時代の糸操り人形遣い
1997年没

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世界大百科事典(旧版)内の結城孫三郎の言及

【結城座】より

…江戸の人形浄瑠璃の劇場名。説経節の太夫初世結城孫三郎が江戸葺屋町に創設した芝居小屋であるが,その創設年代は明らかでない。現存する結城孫三郎の最古の正本《越前国永平寺開山記》(1689)や,地誌の《江戸図鑑綱目》に見える江戸孫三郎が結城孫三郎と同一人物であるらしいことから判断して,元禄(1688‐1704)初年の創設と考えるべきであろう。…

【人形劇】より

…日本の糸操りは結城(ゆうき)人形座や竹田人形座が発展させてきた。現在の結城孫三郎(まござぶろう)は11代目で,初代は寛永年間(1624‐44)に江戸で結城座の座元であった。10代目の孫三郎は芥川竜之介の《杜子春》を脚色上演して注目されたことがある。…

※「結城孫三郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」