猿飛佐助(読み)サルトビサスケ

デジタル大辞泉 「猿飛佐助」の意味・読み・例文・類語

さるとび‐さすけ【猿飛佐助】

伝説上の戦国時代の忍者。戸沢白雲斎に忍術を学び、真田幸村さなだゆきむらに仕えたという。真田十勇士の一人。

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精選版 日本国語大辞典 「猿飛佐助」の意味・読み・例文・類語

さるとび‐さすけ【猿飛佐助】

  1. 戦国時代の忍術者として伝えられている人物。甲賀流の書にその名が記されているが実在したかどうかは不明。大正初期に大阪赤本の講談豆本でその武勇伝が書き広められ、真田十勇士の一人として世にもてはやされた。猿飛は「西遊記」の孫悟空にあやかったといわれている。大阪成象堂の武士道文庫に伝記がある。

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朝日日本歴史人物事典 「猿飛佐助」の解説

猿飛佐助

大正3(1914)年に大阪の立川文庫によって創造された人物。元和1(1615)年ごろに活動したとされる。真田幸村親衛隊として動いた真田十勇士のひとりという。真田幸村は実在の人物。豊臣秀頼のまねきに応じて大坂城に入り,実兄(信之)を敵として,徳川家康の軍勢とたたかった。大坂冬の陣(1614),夏の陣(1615)において大坂城の落ちるまで木村重成,後藤又兵衛(基次)らと共に徳川勢をなやまし元和1年5月7日に河内(大阪府)茶臼山に戦死した。豊臣びいきの大阪人の間に上方講話の中心人物となって生きのこり,幸村の下で自在にはたらく十勇士の人物像があらわれた。 猿飛の猿は,『西遊記』の孫悟空から思いついたもので,講談師玉田玉秀斎の口演を,徳島からかけおちしてともに住んでいた山田敬がその連れ子たちとともに筆記して小型文庫本として大阪の立川文明堂から,定価25銭で明治44(1911)年から大正12(1923)年にかけて出版された。前の本をかえして次の本をもらうという仕方であると,はじめにあずけたお金にわずか5銭ほど足すだけで新刊を手にいれることができるので,使い走りで待ち時間の多い丁稚小僧にたいへんな人気があった。印をむすぶだけで変幻自在の忍術家猿飛佐助は,自由のとぼしい丁稚たちにとってあこがれを託する人物となった。猿飛佐助は玉秀斎の後妻の連れ子で歯科医となった山田阿鉄の創作といわれているが,その英雄を守りそだてたのは大正時代の丁稚小僧たちである。立川文庫には読みやすいように漢字にすべてフリガナがついていたので,小学校の学歴で自由に読め,この文庫を読むことで読者は漢字を自力でおぼえた。 ちょうど玉田玉秀斎が種ぎれになったところでそれまで筆記をしていた後妻の連れ子たちの創作講談があとをついだわけで,猿飛佐助の登場は第40編目であり,山田阿鉄作のこの英雄は立川文庫のブームが去ってから,エノケン(榎本健一)の喜劇織田作之助の小説にうけつがれて,昭和時代を戦争中にさえ絶えることなく生きのびて今日に至っており,1960年の安保闘争を猿飛を主人公としてつくった映画『真田風雲録』(福田善之原作・加藤泰監督,1963)をも生みだした。上方講談以来の歴史をしらべていた『新大阪新聞』記者足立巻一は創作集団生きのこりの池田蘭子をたずね,彼自身が『立川文庫の英雄たち』(1980)を書いただけでなく,池田蘭子に回顧録『女紋』を書くいとぐちをつくった。ちなみに猿飛佐助は山中で仙人戸沢白雲斎について薪水の労をとって忍術の修学をしたことになっており,仙術と忍術という学校では教えない教育課目への関心を少年少女のうちにかきたてた。

(鶴見俊輔)

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改訂新版 世界大百科事典 「猿飛佐助」の意味・わかりやすい解説

猿飛佐助 (さるとびさすけ)

甲賀流忍術の名人とされる伝説上の人物。玉田玉秀斎による創作講談《忍術名人猿飛佐助》の主人公であるが,1911年に刊行された〈立川文庫〉により大衆のあいだに定着した。戸沢白雲斎に忍術をならい,真田幸村につかえ,いわゆる真田十勇士の一人として活躍するが,大坂夏の陣に討死したことになっている。猿飛という命名は,《西遊記》の怪猿孫悟空にあやかったといわれる。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「猿飛佐助」の意味・わかりやすい解説

猿飛佐助
さるとびさすけ

「立川(たちかわ)文庫」第40編『猿飛佐助』(1914)により創作された架空人物で、「真田(さなだ)十勇士」の一人。鳥居(とりい)峠の麓(ふもと)に住む郷士鷲尾佐太夫(わしおさだゆう)の息子の佐助は、山中で猿を相手に遊んでいたが、甲賀流忍術名人戸沢白雲斎(とざわはくうんさい)によりその素質を認められ、忍術修業に励み、極意を授与される。15歳の若さで佐助は真田幸村(ゆきむら)の家来となる。幸村の命により三好清海(みよしせいかい)入道と2人で諸国漫遊の旅に出るが、その目的は風雲急を告げる天下の形勢を探るためであった。徳川方をさんざんに悩ます佐助の痛快な行動は、大正期の忍術ブームの原因をなした。中国古典『西遊記』で活躍する孫悟空(そんごくう)が、猿飛佐助のモデルに擬されている。大衆文芸(時代小説)の主人公としても猿飛佐助を描いた作品は数多い。

[武蔵野次郎]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「猿飛佐助」の意味・わかりやすい解説

猿飛佐助
さるとびさすけ

真田十勇士の一人として武勇伝が語られている,講談中の人物。安土桃山時代の武将真田信繁の家臣という。幼時,甲賀流の忍術を戸沢白雲斎に学び,真田氏に忍びをもって仕え,間諜として活躍,特に関ヶ原の戦いの際の信州上田における合戦や大坂の陣には神出鬼没の働きをする。明治の末刊行された『立川文庫』で有名になった。

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百科事典マイペディア 「猿飛佐助」の意味・わかりやすい解説

猿飛佐助【さるとびさすけ】

甲賀流忍術使いとされる伝説上の人物。講談や立川文庫で知られる。真田十勇士の一人。戸沢白雲斎に忍術を学び,大坂夏の陣で死んだことになっている。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「猿飛佐助」の解説

猿飛佐助 さるとび-さすけ

講談の主人公。
2代玉田玉秀斎(ぎょくしゅうさい)がつくりだした甲賀流の忍者。戸沢白雲斎(はくうんさい)にまなび,真田幸村(ゆきむら)につかえ,徳川方とたたかう。大坂夏の陣で戦死したとされる。大正2年「立川文庫」の1冊「真田三勇士忍術名人猿飛佐助」として刊行され,人気をえた。小説や映画でも活躍。

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デジタル大辞泉プラス 「猿飛佐助」の解説

猿飛佐助

杉浦茂による漫画作品。日本一の忍術の使い手のもとで3年間修行し、真田幸村に召し抱えられた猿飛少年の活躍を描く。『おもしろブック』1954年3月号~1955年に連載。筑摩書房ちくま文庫全1巻。

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世界大百科事典(旧版)内の猿飛佐助の言及

【真田十勇士】より

…安土桃山時代の武将真田幸村(1567‐1615)につかえて,武勇をあらわしたという10人の勇士の総称。猿飛佐助,霧隠才蔵,三好清海入道,三好伊三(いさ)入道,穴山小介,海野(うんの)六郎,筧(かけい)十蔵,根津甚八,望月六郎,由利鎌之助の10人だが,三好清海入道と伊三入道は兄弟とされている。このうち,由利鎌之助,三好清海入道,伊三入道,根津甚八などの名は,《真田三代記》や《大坂夏陣図》などにも見うけるが,〈真田十勇士〉としての武勇伝の数々は,すべて〈立川文庫〉による創作である。…

※「猿飛佐助」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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