三世相錦繍文章(読み)さんぜそうにしきぶんしょう

精選版 日本国語大辞典 「三世相錦繍文章」の意味・読み・例文・類語

さんぜそうにしきぶんしょうサンゼサウにしきブンシャウ【三世相錦繍文章】

  1. 歌舞伎脚本。常磐津世話物。六段。三世桜田治助作。安政二年(一八五五江戸中村座初演。大坂南新屋敷の遊女お園と大工の六三郎の心中事件を題材とする。お園が兄長庵を殺して六三郎と心中、地獄極楽をめぐり歩く五段までを夢とし、長庵から宝の色紙を取り返し、お園と六三郎は結ばれる。全段常磐津なのが珍しい。通称「おその六三(ろくさ)」。三世相

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改訂新版 世界大百科事典 「三世相錦繍文章」の意味・わかりやすい解説

三世相錦繡文章 (さんぜそうにしきぶんしょう)

歌舞伎狂言。浄瑠璃世話物。6段。通称《お園六三(ろくさ)》《三世相》。3世桜田治助作。1857年(安政4)7月江戸中村座初演。常磐津豊後大掾(4世常磐津文字太夫),常磐津小文字太夫,三味線4世岸沢古式部(5世岸沢式佐),6世岸沢式佐らの全段出語り。配役はお園を2世片岡我当,福島屋清兵衛を市川猿三郎,梶野長庵を関歌助,福清女房おかぢを5世嵐小六,六三郎を2世沢村訥升ほか。1749年(寛延2)3月に大坂南新屋敷福島屋抱え遊女お園と大宝寺町の大工六三郎が心中した事件は,すぐ同月に豊竹座で《八重霞浪花浜荻(やえがすみなにわのはまおぎ)》として劇化上演され,以来さまざまに書き替えられてきたが,本作は奇抜な趣向で新奇さをねらった江戸前世話浄瑠璃吉原から深川へ住み替えた遊女お園は,情人の六三郎に尋ねる色紙を入手させるため,悪党の兄長庵を殺し,抱え主の福清夫婦の情で六三郎と駆落ちし,洲崎堤で心中する。亡者となった2人は三途の川を渡り閻魔の庁へやってきて責められるが,長庵はお園の兄でなく母親を殺した敵と判明する。以上はすべてお園の夢で,大切の三社祭の場で六三郎は首尾よく色紙を手に入れ,お園と夫婦になる。

 江戸末期らしくかなり洒落っ気の強い趣向ずくめで,夏の安芝居であるにもかかわらず大当りをした。しかし,その結果,豊後大掾と古式部の間に功名争いが起こり,両派分裂のもとになったとされる。1932年3月前進座で復活上演された。
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百科事典マイペディア 「三世相錦繍文章」の意味・わかりやすい解説

三世相錦繍文章【さんぜそうにしきぶんしょう】

常磐津節の曲名。通称は《三世相》。1855年初演,のち1857年江戸中村座興行。3世桜田治助作詞,5世岸沢式佐作曲。清元節の《神田祭》とともに江戸の祭気分が表れた曲として有名。6段よりなり,全段が常磐津出語りの舞踊劇。

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世界大百科事典(旧版)内の三世相錦繍文章の言及

【常磐津節】より

… しかし,1860年(万延1)4世文字太夫(豊後大掾)と4世岸沢古式部(5世式佐)が対立,岸沢派が袂を分けて独立した。通説では1857年(安政4)に大当りをした《三世相錦繡文章(さんぜそうにしきぶんしよう)》の功名争いをその原因とするが,《三世相》上演後2年は同席しているのでそれだけではなく,岸沢古式部に独立の意志があり,それがたまたま文字太夫との紛争をきっかけとして表面化したと推測される。分裂後文字太夫は2世佐々木市蔵を,小文字太夫は初世常磐津文字兵衛を三味線方とし,岸沢古式部は太夫となり6世式佐を三味線方としたが,82年7世小文字太夫(常磐津林中)により和解が成立,その記念として《釣女》《松島》が作られている。…

※「三世相錦繍文章」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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