ギゾー(英語表記)François-Pierre-Guillaume Guizot

デジタル大辞泉 「ギゾー」の意味・読み・例文・類語

ギゾー(François Pierre Guillaume Guizot)

[1787~1874]フランス歴史家政治家。研究生活から政界に入り、内相首相をつとめたが、反動策をとって1848年二月革命を招き、イギリスに亡命。著「イギリス革命史」「ヨーロッパ文明史」など。

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精選版 日本国語大辞典 「ギゾー」の意味・読み・例文・類語

ギゾー

  1. ( François Guizot フランソワ━ ) フランスの政治家、歴史家。七月王制のもとで文相、のち外相、首相として保守政策を推進反対党を弾圧して、二月革命を招き、イギリスに亡命。著「イギリス革命史」「フランス文明史」「ヨーロッパ文明史」など。(一七八七‐一八七四

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改訂新版 世界大百科事典 「ギゾー」の意味・わかりやすい解説

ギゾー
François-Pierre-Guillaume Guizot
生没年:1787-1874

フランスの政治家,歴史家。南フランス,ニームプロテスタントの家庭に生まれた。弁護士の父は“恐怖政治”のさなか処刑され,母子は革命の難を逃れてジュネーブに赴く。その地で厳格なカルバン主義教育を受けた彼は,1805年法律家を目指しパリに出る。ギボンの《ローマ帝国衰亡史》の注釈などで頭角を現し,12年パリ大学近代史講座の教授となる。復古王政治下,内相秘書官をはじめ,国務院調査官や県・地方行政局長の要職を歴任する一方,〈憲章〉理念実現のためロアイエ・コラールらとともに自由主義の立場から立憲君主政擁護の論陣を張る。その政治思想集団は〈ドクトリネール〉と呼ばれた。彼の講義はシャルル10世の反動政治のため一時禁止されたが,28年再開され反政府派学生・知識人らの好評を博した。七月王政の樹立後,短期間内相(1830),次いで文相(1832-36,36-37)を務め,40年以降外相,47年に首相となる。その政策の基調は,国王・内閣・議会の3権力の均衡による立憲政治と対英協調の平和路線にあり,“中間階級”による“中道政治”が標榜された。文相時代には公教育法を制定して初等教育の普及に努め,また〈フランス史協会〉創立に尽力した。だが王政後半の“中道政治”は二十数万の有権者を基礎にもっぱら金融貴族をはじめとする大ブルジョア階級の利害を擁護するもので,折からの凶作食糧危機,不況による失業者の増大という国民大衆の状況は無視された。選挙資格の拡大を目的とする選挙法改革運動は〈改革宴会〉という形をとるが,これをギゾー政府が禁止したことが二月革命の誘因となる。革命の勃発で彼はロンドンに亡命,49年に帰国しノルマンディーに永住して歴史著述に専念した。《ヨーロッパ文明史》(1828)などの影響が福沢諭吉の《文明論之概略》にみられる。著作には《イギリス革命史》2巻(1826-27),《現代史の回想》8巻(1858-67)などがある。
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百科事典マイペディア 「ギゾー」の意味・わかりやすい解説

ギゾー

フランスの歴史家,政治家。初めパリ大学の近代史講座教授。王政復古下に官界に入り,初めは反動政策に抵抗したが七月王政下に保守化し,内相,文相,外相,首相(1847年―1848年)を歴任。制限選挙制下に平和維持,社会・政治改革拒否の大ブルジョア政権維持に努力して反対派を強圧。二月革命で英国に亡命し,1849年帰国後は著述に専念した。主著《ヨーロッパ文明史》。
→関連項目改革宴会ティエール日本開化小史バックル

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旺文社世界史事典 三訂版 「ギゾー」の解説

ギゾー
François Pierre Guillaume Guizot

1787〜1874
フランスの政治家・歴史家
温和な自由主義者としてブルボン復活王朝の政治に反対し,七月革命(1830)以後首相をつとめたが,制限選挙を固守し,労働勢力の要求を無視した。民衆の選挙法改正目的の集会(改革宴会)を禁止し,1848年の二月革命をまねき,ロンドンへ亡命した。著書に『ヨーロッパ文明史』があり,また彼の言葉として「金持ちになりたまえ。そうすれば選挙人になれる」というものが有名である。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ギゾー」の解説

ギゾー
François Pierre Guillaume Guizot

1787~1874

フランスの政治家,歴史家。七月王政下に文相,外相,首相となり,制限選挙制と利権の分配によって,上層ブルジョワの政治独占の維持に努めた。二月革命でロンドンに亡命。『ヨーロッパ文明史』などで歴史家としても著名。

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