イタリアの詩人。オーストリア帝国治下のトリエステに生まれたが,国籍はイタリア。彼の出生前に妻を捨てた父方の姓を捨て,ユダヤ系の母親への敬愛をこめ,ヘブライ語で〈パン〉を意味するサーバを名のる。幼年期の原体験,イタリア詩壇への違和,第1次大戦時の軍務体験,ファシズム治下の人種迫害からの逃亡生活,そして生まれた街と,妻リーナと,乏しい生活の糧をそこから得たトリエステの古書店サーバ書房への深い愛着など,辛苦と困窮の生涯を歌った詩集がいわば彼の自伝そのものである。処女作の《詩集》(1911)以下,《トリエステとひとりの女》(1910-12),《序曲と歌声》(1923),《死に瀕した心》(1925-30),《言葉》(1934)などの詩集を有機的に組み入れて《カンツォニエーレIl canzoniere》(初版1921,決定版1957)に集成した。散文作品に《近道と掌編》(1946),《追想・短編》(1956),没後公にされた小説《エルネスト》(1975),ある作家との往復書簡集《老人と青年》(1965)ほかがある。同じユダヤ系の批評家G.デ・ベネデッティがいち早く注目したにもかかわらず,サーバはその〈旧套〉ゆえに〈遅れてきた詩人〉として長く不遇をかこっていた。三人称による自己作品の注解《カンツォニエーレ編年史》(1948)は批評家の無理解を詩人自らが補ったものである。今日では,モンターレ,ウンガレッティと並ぶ20世紀イタリア詩の三つの巨峰と仰がれている。
→トリエステ
執筆者:古賀 弘人
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イタリアの詩人。本名ウンベルト・ポーリ。母方はユダヤ系。誕生直前に両親が離婚。生活を支えるために、早くから船員や志願兵となるが、結婚後、トリエステに古書店を開き、詩作に沈潜する。ファシスト政府の人種法制定に伴って、一時、パリへ逃れるが、まもなく帰国して、フィレンツェ、ローマに隠れ住む。こうした宿命を担いながら、サーバはその人生の途次で出会った人々や、故郷トリエステの町や、さまざまな事物を、あたかも自伝を書くように、叙情詩に綴(つづ)った。その詩は、ときに意識の流れやフロイトの精神分析の方法を取り入れることはあっても、けっして難解ではなく、鋭い感覚と深い思惟(しい)を背後に潜ませた、平明かつ簡潔なことばで綴られている。初期の詩から次々に発表された作品は『叙情詩集』(1961)に集大成されている。ほかに『「叙情詩集」の歴史と年代記』(1958)などがある。
[川名公平]
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…このためトリエステの文学は中欧の文学と結びつき,フロイトの精神分析を取り入れるなど,早くから心理主義的傾向をみせ,同時にイタリア文学を近代ヨーロッパの文学に結びつけた。その核として働いたのがズベーボやサーバらユダヤ人の活動である。ユダヤ人同士の人種的結合による文学サークルは存在しないが,現代作家のA.モラビア,N.ギンズブルグ,G.バッサーニ,あるいは文芸批評家デベネデッティGiacomo Debenedetti(1901‐67)らを含め,トリエステを拠点とするユダヤ人の文学はイタリアで隠然たる力をもっている。…
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