ラブレー(英語表記)François Rabelais

デジタル大辞泉 「ラブレー」の意味・読み・例文・類語

ラブレー(François Rabelais)

[1494ころ~1553ころ]フランス作家。連作「ガルガンチュワとパンタグリュエル」はフランスルネサンス文学最大の傑作とされる。

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精選版 日本国語大辞典 「ラブレー」の意味・読み・例文・類語

ラブレー

  1. ( François Rabelais フランソワ━ ) 一六世紀フランスの物語作家。ルネサンス文学の代表者。批判的精神をもって、滑稽風刺の物語を書いた。主著ガルガンチュアパンタグリュエル物語」。(一四九四頃‐一五五三頃

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改訂新版 世界大百科事典 「ラブレー」の意味・わかりやすい解説

ラブレー
François Rabelais
生没年:1483?か94?-1553

フランス・ルネサンス最大の物語作家,医師。新興ブルジョア地主の末子としてトゥーレーヌ地方に生まれ,修道士となって哲学・神学を学ぶかたわら古代文化への情熱を燃やし,ギリシア語を独習。ビュデエラスムスを父とも師とも仰ぐに至る。1527-28年ころ許可なく修道衣を棄て在俗司祭となり,30年秋には南フランスのモンペリエ大学医学部で得業士bachelierの資格を得,翌年ヒッポクラテスやガレノスの医書を同医学部史上初めてギリシア語原典によって講じ,多数の聴衆を集めた。その成果は翌年リヨンで出版され,彼は人文学者・医師として世に出た。32年秋リヨン市立病院医師を拝命。年俸40リーブルは前任者より10リーブル多い。また37年にはモンペリエ大学から医学士号と博士の学位を相次いで授与され,死体を用いて解剖学を講じているし,同時代の詩人たちからも当代きっての名医とたたえられている。

 一方,これと並行してラブレーは,やがて大作《ガルガンチュアとパンタグリュエルの物語》となるべき連作の第1作《第二之書パンタグリュエル》を変名で,また医学博士・占星学教授というおどけた肩書付きの本名で《1533年の暦》なる民衆的小品を世に問い(1532),作家として運命的な一歩を踏み出した。民衆的喜劇的要素と人文主義的学殖とを巧みに織りまぜたこの風刺作品は,広い層に迎えられるとともに,ラテン語を至上とする人文学者の一部の顰蹙(ひんしゆく)を買い,さらにパリ大学神学部の忌諱に触れた。以後新作出版のたびに神学部やパリ高等法院の追及を受け,著書は発禁,作者は亡命を繰り返すことになる。ただ幸いにも彼は人文主義的な重臣デュ・ベレー兄弟らに愛され,1534,35-36,47-49年の3回にわたって弟のパリ司教ジャンの侍医兼秘書としてローマその他に滞在し,古代文化に直接触れ,各地の人文学者と交流の機を得たし,1551年には生活の資となる二つの司祭職も与えられた。また1539-40,41,42年にはフランス占領下だった北イタリア,ピエモンテ地方総督代理となった兄ギヨームに随行し,トリノに滞在している。

 これらの体験は彼の視野宗教,政治,社会の各分野にわたって拡大し,その思索を刺激し,作品に素材やヒントを数多く提供することになる。一方,1540年代以後カルビニズムの成立と発展に伴ってフランス国内の宗教的対立は深まり,弾圧激化した。エラスムス的な福音主義信仰を守りつつあらゆる公式的文化,社会現象の硬直と欺瞞をえぐり出し笑いとばした彼は,いずれの陣営からも危険人物,異端視される。その間の苦渋は永い沈黙ののちに発表された《第三之書パンタグリュエル》(1546)以降の作品に濃い影を落としている。《第四之書》(1552)発表後にはラブレー投獄の噂が流れ,1553年1月には二つの司祭職を辞任し,その後の消息は不明となる。なお《第五之書》(1562-64年,死後出版)には偽作の疑いがある。
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百科事典マイペディア 「ラブレー」の意味・わかりやすい解説

ラブレー

フランス・ルネサンス最大の物語作家。弁護士の子。修道院で生活しつつ古典を独学,エラスムスら人文主義者と交わる。パリそのほかを遍歴,1530年医師になる。リヨンで学術書を校訂出版,また市立病院に勤務。カトリック教会に対して人間解放をうたう《パンタグリュエル》を1532年出版。国王側近のパリ司教ジャン・デュ・ベレーの愛顧を得て侍医としてイタリアに同行。帰国後《ガルガンチュア》を発表。福音主義者弾圧の激化のため失踪。再度イタリアに滞在。1546年《第三之書》を発表するが禁書となり,国外へ亡命。1548年ローマ滞在中〈第四之書〉の一部を発表,新旧両派から攻撃される。1552年の完本も禁書となり,死後《第五之書》が出版されるが偽作の疑いもある。ほかに《パンタグリュエル占筮(うらない)》《暦》《模擬戦記》など。
→関連項目カーニバル人文主義モンペリエ大学

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旺文社世界史事典 三訂版 「ラブレー」の解説

ラブレー
François Rabelais

1494ごろ〜1553
フランス−ルネサンスの代表的人文主義者・医師
博学多才な教養を身につけ,人間性をゆがめるすべてのものを痛烈に嘲笑し,教会や神学を鋭く批判した。特に巨人伝説をたくみにアレンジした『ガルガンチュアとパンタグリュエルの物語』を匿名で発表し,豊富な語法と卓抜な空想力で多くの読者をひきつけた。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ラブレー」の解説

ラブレー
François Rabelais

1494?~1553?

フランスのルネサンスを代表する作家。人文主義の教養深く,医学上の業績もあるが,とりわけ風刺小説『ガルガンテュアとパンタグリュエルの物語』で知られる。

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世界大百科事典(旧版)内のラブレーの言及

【アリストファネス】より

…おそらくこの二つの理由によって,彼の喜劇は悲劇詩人たちと比較すると,不当に小さな影響力しか後世に及ぼしえなかった。わずかに,ローマ帝政期のサトゥラ(風刺)詩人ユウェナリス,ルネサンス期フランスのラブレーに,その破壊的な笑いの後継者を見いだすことができるのみである。しかし自由アテナイの,しかもその自由の崩壊寸前の最も緊張に満ちた時期の精神的代表者,証人としての価値は,トゥキュディデスとともに高く評価されてしかるべきである。…

【ガルガンチュアとパンタグリュエルの物語】より

…フランソア・ラブレーの連作物語。5巻より成る。…

【道化】より

… 小説の分野では,2人の巨匠が打ちたてた道化文学の記念碑がある。まず,ラブレーの《ガルガンチュアとパンタグリュエルの物語》は,中世のカーニバル的民衆文化の猥雑さと豊饒さを余すところなく表現した作品である。権力を嘲笑した道化的哲学者ディオゲネスに自分を擬したラブレーは,道化の杖をペンに持ちかえて,世界を哄笑のうちに活性化する。…

【糞】より

…なお,くそ食い黄金虫,すなわちスカラベはフンコロガシ,タマオシコガネとも称される甲虫の1種で,ファーブルの《昆虫記》での記述,また古代エジプトでは聖なる虫として崇拝されたことで有名である。糞や排便行為を笑いに盛りこんだのはほかにも少なくなく,中世ドイツ民話ティル・オイレンシュピーゲルにも散見され,ラブレーの《ガルガンチュアとパンタグリュエルの物語》の《第一之書ガルガンチュア》第13章は排便後のしりを何で拭くかの長々しい話で埋まっている。近くはスキャンダルを巻き起こしたジャリの《ユビュ王》(1896上演)があり,〈くそったれ!〉で始まって造語を縦横に駆使しながら,性と排泄に絡む人間共通の自然を笑いの中に提示した。…

【笑い】より

… 16世紀の中世的な価値の崩壊から18世紀の近代社会の確立までの間に,ヨーロッパは3人の偉大な〈笑い人間〉を生み出している。ラブレーとセルバンテスとスウィフトである。ラブレーにとって笑いは〈人間の本性〉だった。…

※「ラブレー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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