会津塗(読み)アイヅヌリ

デジタル大辞泉 「会津塗」の意味・読み・例文・類語

あいづ‐ぬり〔あひづ‐〕【会津塗】

会津地方で作られる漆器の総称。天正年間(1573~1592)より興り、古くは漆絵による会津盆、現代では消しふん蒔絵まきえ日用品を多く産する。

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精選版 日本国語大辞典 「会津塗」の意味・読み・例文・類語

あいづ‐ぬりあひづ‥【会津塗】

  1. 〘 名詞 〙 福島県会津地方より産する漆器。渋地塗で消粉蒔絵(けしふんまきえ)を施したもので、膳、盆など日用品が多い。
    1. [初出の実例]「天正中、蒲生氏郷の会津に封ぜらるるや、南部椀に模擬したる漆器を製せしむ、これ会津塗の始にして」(出典:桜塢漫録(18C中))

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改訂新版 世界大百科事典 「会津塗」の意味・わかりやすい解説

会津塗 (あいづぬり)

福島県の会津若松地方でつくられる漆器。歴史は古く,すでに桃山時代以前より会津藩主蘆名氏のもとで行われていたと伝えられる。1590年(天正18)蒲生氏郷が近江から会津に移封され,故国近江から木地師木地屋),塗師を呼び寄せ,日野椀の製法の導入など,漆器産業の基を築いたという。その後藩主は上杉,加藤,保科氏と交代したが,いずれも漆栽培の奨励,漆器産業の保護・育成に力を尽くし,江戸時代にすでに産業としての体制を確立し,全国的にも知られていた。幕末には長崎を通じて会津漆器の輸出も手がけ,その先見ぶりを発揮している。伝統的加飾技法としては,消粉蒔絵,沈金などが有名で,とくに前者は会津独特のものである。板物素地にはホオノキとカツラ材を,丸物にはブナ,トチなどを用いる。製品の種類は椀,重箱,膳,盆など多彩である。第2次大戦後の漆器産業の危機に際しては,いち早く金胎,陶胎や合成樹脂素地の開発・利用,カシュー塗料の使用に踏み切り,全国有数の漆器産地の地位を保持している。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「会津塗」の意味・わかりやすい解説

会津塗
あいづぬり

福島県会津若松市特産の漆器。そのおこりは古く、とくに宝徳(ほうとく)年間(1449~1452)蘆名(あしな)氏11代盛信がウルシの木の栽培を奨励したことや、13代盛高がろくろ木地挽(きじひ)きに赤や黒の漆を塗った椀(わん)、盆、鉢などをつくらせた記録より知られる。文明(ぶんめい)年間(1469~1487)成立の『桧原(ひはら)軍物語』に磐梯山麓(ばんだいさんろく)の桧原に70余軒の木地挽きがいたという裏づけがある。1590年(天正18)蒲生氏郷(がもううじさと)が領主となり、故郷の近江(おうみ)国(滋賀県)から木地師や塗師(ぬし)を多数移住させ、塗大屋敷とよぶ伝習所で漆器の産業化を図ったが、その製品は実用品がおもなものであった。加藤氏時代の1627年(寛永4)に海東五兵衛が会津絵とよぶ加飾をした秀衡椀(ひでひらわん)系統の素朴な製品をつくった。松平氏のもとでは、寛政(かんせい)年間(1789~1801)に家老田中玄宰によって京都から金粉、金箔(きんぱく)や漆塗、消粉蒔絵(まきえ)の工人を招き、藩自ら漆器製作の技術指導にあたり、かつ享和(きょうわ)年間(1801~1804)に長崎で会津漆器の輸出を行った。現在は日本有数の主として食器、家具の漆器産地で、1976年(昭和51)に「伝統的工芸品」の指定を受けた。

[郷家忠臣]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「会津塗」の意味・わかりやすい解説

会津塗
あいづぬり

福島県会津若松市喜多方市南会津町西会津町北塩原村会津美里町で生産される漆器の総称。この地方では室町時代中期から椀や盆など日用の漆器が生産されていたが,天正18(1590)年,蒲生氏郷が会津に移封された際に近江より木地師,塗師を移住させて,この産業を奨励したため,質量ともに飛躍的に発展した。当時は漆器の装飾法としては漆絵が中心であったが,17世紀半ばからは蒔絵技術も導入され,現在では消粉蒔絵(けしふんまきえ)の主産地となっている。1975年,国の伝統的工芸品に指定。

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百科事典マイペディア 「会津塗」の意味・わかりやすい解説

会津塗【あいづぬり】

会津若松市で作る漆器の総称。ぜん,盆,わん等のほか,輸出向けのカクテルセット等種類は多い。1590年近江から移った蒲生氏郷が漆器業を奨励してから著しく発展。花塗,消粉蒔(まき)絵が主で,とくに後者は会津独特のもの。1717年から海外へ輸出している。→漆器
→関連項目喜多方[市]

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事典 日本の地域ブランド・名産品 「会津塗」の解説

会津塗[漆工]
あいづぬり

東北地方、福島県の地域ブランド。
会津若松市などで製作されている。会津で漆の木を植えることが奨励された室町時代の発祥とされるが、1590(天正18)年に蒲生氏郷が近江から会津に移封された頃から本格的に会津塗がつくられるようになったという。蒲生氏郷は近江の漆器職人たちを呼び寄せ、その技法を会津に広めた。その後、京都から蒔絵技術も取り入れ、代々の藩主の保護を受けて発展した。福島県伝統的工芸品。1975(昭和50)年5月、通商産業大臣(現・経済産業大臣)によって国の伝統的工芸品に指定。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「会津塗」の解説

会津塗
あいづぬり

福島県会津若松市周辺で製作される漆器の総称。消粉(けしふん)・平極粉(ひらごくふん)を用いた蒔絵(まきえ)をはじめ,変塗(かわりぬり)など幅の広い表現が特色。起源は不明だが,室町中期に当時の領主蘆名(あしな)氏が漆器の生産を奨励したことに始まるといわれ,その後も蒲生氏をへて保科氏まで歴代領主の手厚い保護をうけた。江戸時代に入ると,漆器は会津藩の経済を支える重要な産品として専売の対象となり,ウルシノキの栽培,職人の育成などが組織的に行われた。

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旺文社日本史事典 三訂版 「会津塗」の解説

会津塗
あいづぬり

会津若松市(福島県)で産する漆器
木地に柿渋を塗り,漆 (うるし) の上絵に金泥を用いた蒔絵 (まきえ) を施す。1590年,領主蒲生氏郷 (がもううじさと) が旧領の近江日野から漆工を伴い,保護奨励したのが始まりという。江戸時代,会津特産の漆を用い発展した。

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