1951年(昭和26)5月5日の「こどもの日」に、児童の成長と幸福の実現を願って作成された宣言的文書である。制定の背景には、第二次世界大戦敗戦後の劣悪な社会・生活環境から児童を保護する必要性があり、子を親の従属物とみる戦前の児童観がいまだ十分に正されていない状況があった。中央児童福祉審議会の発議以来、中央・地方の関係各方面における2年がかりの検討・審議を経、最終的に内閣総理大臣主宰の児童憲章制定会議において制定された。
前文、総則、本則12条からなる。総則部分にうたわれた3項目(「児童は、人として尊ばれる。児童は、社会の一員として重んぜられる。児童は、よい環境のなかで育てられる。」)は、児童ひとりひとりの健全な成長の実現にとって必須(ひっす)な、時代を超えた普遍的原理を端的に集約したものといってよい。また「われらは、日本国憲法の精神にしたがい、児童に対する正しい観念を確立し、すべての児童の幸福をはかるために、この憲章を定める。」との前文が示すように、本憲章は、施行から4年を経過した憲法に盛られている基本的人権が、児童にも保障されるべきことを確認し宣明したものである。たとえば、憲章の第1条「すべての児童は、心身ともに健やかにうまれ、育てられ、その生活を保障される。」や、第3条「すべての児童は、適当な栄養と住居と被服が与えられ、また、疾病と災害からまもられる。」は、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(憲法25条1項)に対応しており、第4条「すべての児童は、個性と能力に応じて教育され、社会の一員としての責任を自主的に果たすように、導かれる。」、第6条「すべての児童は、就学のみちを確保され、また、十分に整った教育の施設を用意される。」などは、「能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利」(憲法26条1項)を具体化したものとみることができる。
また、児童憲章制定後半世紀を経てもなお、都市化、情報化、核家族化、少子高齢化等の進展により、児童をとりまく状況が深刻ななかで、第9条「すべての児童は、よい遊び場と文化財を用意され、わるい環境からまもられる。」、第10条「すべての児童は、虐待・酷使・放任その他不当な取扱いからまもられる。あやまちをおかした児童は、適切に保護指導される。」などの規定は、現代的視点から改めてとらえかえすべき課題を含んでいる。その他の条項は、成長の場としての家庭環境の保障(第2条)、教育の具体的目標(第5条)、職業指導機会の保障(第7条)、働く児童の教育機会と生活の保障(第8条)、障害児の医療・教育・保護の保障(第11条)、人類の平和・文化に貢献する国民像(第12条)について定めている。
児童憲章は国際連合による児童権利宣言(1959)および児童権利条約(1989)の内容を先取りする先駆性を有した反面、権利宣言および権利条約が児童を権利主体であることを明確にしているのに比して、本憲章が児童を社会から保護されるべき存在と位置づけたのは時代の制約であったとみられる。また憲章の定めは法律の形式をとっていないため法的効力そのものはなく、国家、社会および国民全体が負うべき児童の幸福実現に向けた社会的、道徳的責任を明示したにとどまる。しかし児童の福祉や教育に関する理念を提示し、児童福祉法など関係法令の解釈指針を与えた意義は大きい。
[宮﨑秀一]
昭和26年(1951)5月5日制定
われらは、日本国憲法の精神にしたがい、児童に対する正しい観念を確立し、すべての児童の幸福をはかるために、この憲章を定める。
児童は、人として尊ばれる。
児童は、社会の一員として重んぜられる。
児童は、よい環境のなかで育てられる。
一 すべての児童は、心身共に健やかにうまれ、育てられ、その生活を保障される。
二 すべての児童は、家庭で、正しい愛情と知識と技術をもつて育てられ、家庭に恵まれない児童には、これにかわる環境が与えられる。
三 すべての児童は、適当な栄養と住居と被服が与えられ、また、疾病と災害からまもられる。
四 すべての児童は、個性と能力に応じて教育され、社会の一員としての責任を自主的に果たすように、みちびかれる。
五 すべての児童は、自然を愛し、科学と芸術を尊ぶように、みちびかれ、また、道徳的心情がつちかわれる。
六 すべての児童は、就学のみちを確保され、また、十分に整つた教育の施設を用意される。
七 すべての児童は、職業指導を受ける機会が与えられる。
八 すべての児童は、その労働において、心身の発育が阻害されず、教育を受ける機会が失われず、また、児童としての生活がさまたげられないように、十分に保護される。
九 すべての児童は、よい遊び場と文化財を用意され、わるい環境からまもられる。
十 すべての児童は、虐待・酷使・放任その他不当な取扱からまもられる。
あやまちをおかした児童は、適切に保護指導される。
十一 すべての児童は、身体が不自由な場合、または精神の機能が不十分な場合に、適切な治療と教育と保護が与えられる。
十二 すべての児童は、愛とまことによつて結ばれ、よい国民として人類の平和と文化に貢献するように、みちびかれる。
1951年5月5日(子どもの日)に〈児童憲章制定会議〉(内閣総理大臣主宰)によって制定された憲章。日本における子どもの権利宣言ともいうべきものである。内容は,前文,総則3項,本文12条からなり,まず前文で〈日本国憲法の精神〉にもとづき正しい児童観を確立し,〈すべての児童の幸福をはかる〉ことを確認している。そのうえで,総則3項で児童が人権主体であることを,〈人として尊ばれ〉〈社会の一員として重んぜられ〉〈よい環境のなかで育てられる〉べきであるというかたちで求めている。本文では,保障されるべき具体的な権利として,児童の生命,健康,生活保障(1条),家庭環境ないし社会保障(2,3条),教育保障(4~6条),教育ないし労働・生活保障(7,8条),文化的社会環境保障(9条),子どもの保護(10,11条),連帯の原理と平和・文化に貢献する国民の育成をめざすこと(12条)などがあげられている。児童憲章は,第2次世界大戦直後の児童の実情や政策の貧困,子どもを親の私物視するような観念の残存を乗りこえて,子どもの人権を社会的に保障していくという見地から,20世紀における国際的な子どもの権利の法的形成の流れのなかで成立した(その結実は,1959年の国連〈児童権利宣言〉から1989年第44回国連総会採択の〈児童(子ども)の権利に関する条約〉にみられる)。法律ではないが,多くの関係者が民主的に参加し,本格的な憲章として成立したことも注目され,国際的な子どもの人権保障の法体系化のなかであらためてその意義が見直されている。
→児童権利宣言
執筆者:神田 修
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1951年(昭和26)5月5日,内閣総理大臣が招集した児童憲章制定会議により制定された。児童は「人として尊ばれ」「社会の一員として重んぜられ」「よい環境のなかで育てられる」とした前文と本文12カ条からなる。法的効力をもつものではなく「児童の権利をあらわす」「国民の申し合わせであり,約束ごと」と説明される。国際連盟による1924年(大正13)の「児童の権利に関するジュネーブ宣言」など,国際的な児童権利章典類の形成という流れのなかで成立した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…これは理念およびそれを具現するための国・公共団体の責務,および児童相談所をはじめとする行政機関と施設の機能を規定し,さらに児童福祉司などの専門ワーカーの役割を規定している。児童福祉の精神を宣言したものが児童憲章(1951年,内閣総理大臣の召集による児童憲章制定会議で制定)で,憲章は〈児童は人として尊ばれる,児童は社会の一員として重んぜられる,児童はよい環境の中で育てられる〉という憲法の精神に則した児童福祉の理念を明示した。 児童の生活に対する経済保障を取り決める法律には,父と生計を同じくしていない児童の健全育成を保障する目的で成立した児童扶養手当法(1961公布),精神または身体に障害を有する児童で,その養育者が一定額以上の所得のない場合に,障害児の生活の向上に寄与するための手当の支給を取り決めた特別児童扶養手当等の支給に関する法律(1964公布),さらには,児童の家庭養育の安定を図るため,3人以上の児童をもつ父または母または監護者に支給する手当を取り決めた児童手当法(1971公布)がある。…
※「児童憲章」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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