勘仲記(読み)カンチュウキ

デジタル大辞泉 「勘仲記」の意味・読み・例文・類語

かんちゅうき【勘仲記】

鎌倉時代公卿、権中納言勘解由小路兼仲かでのこうじかねなか日記。文永11年~正安2年(1274~1300)に至る記録兼仲卿記。兼仲御記。

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精選版 日本国語大辞典 「勘仲記」の意味・読み・例文・類語

かんちゅうき【勘仲記】

  1. ( 書名筆者姓名の上と下をとったもの ) 勘解由小路(かでのこうじ)藤原兼仲の日記。文永一一~正安二年(一二七四‐一三〇〇)の記録で、鎌倉中期、特に弘安の役についての史料として貴重。兼仲卿記。兼仲記。

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改訂新版 世界大百科事典 「勘仲記」の意味・わかりやすい解説

勘仲記 (かんちゅうき)

鎌倉後期の公家,権中納言藤原兼仲の日記。その居処によって家名を勘解由小路(かげゆのこうじ)と称したので名づけられた。別に《兼仲卿記》《兼仲記》《勘解由小路中納言記》ともいう。1268年(文永5)から1300年(正安2)までの鎌倉後期の代表的な公家日記である。現存するものは文永6-11年,弘安8年-正応3年,永仁3年-正安1年を欠く。写本によって冊数は一定しないが,東洋文庫本が最もよい。《史料大成》に九条家本を底本として収載されている。勘解由小路家は藤原北家内麻呂流の日野家の支族で,兼仲の父経光は《民経記》の著者。兼仲は蔵人・弁官として朝廷の文書の出納をつかさどったので,大覚寺・持明院両統対立,朝廷と幕府の交渉,南都・北嶺の強訴,徳政などの朝廷の政治改革等について,正確で重要な記事を残している。とくに弘安の役については,本書の記事が最も重視される。その紙背文書も重要なものが多い。
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百科事典マイペディア 「勘仲記」の意味・わかりやすい解説

勘仲記【かんちゅうき】

鎌倉時代後期の公家である権中納言(ごんのちゅうなごん)藤原兼仲(かねなか)の日記。兼仲の家は,京都の居所によって家名を勘解由小路(かげゆのこうじ)(現在の京都市上京区にあたる)と称しており,これが書名の由来。《兼仲卿記》《勘解由小路中納言記》などともいう。記事は1268年から1300年に及ぶが,欠けた部分が多いのが惜しまれる。兼仲は朝廷の文書の出納(すいとう)を司っていた関係で,朝廷内の政治状況,朝廷と鎌倉幕府の交渉,大覚寺統持明(じみょう)院統の対立の実相などに詳しく,鎌倉後期の動きを正確に記述している。特に弘安の役についての記述は,本書のものが最も信頼できるという。なお兼仲の父経光(つねみつ)は《民経記(みんけいき)》の著者として有名。→両統迭立

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「勘仲記」の意味・わかりやすい解説

勘仲記
かんちゅうき

『兼仲卿記(かねなかきょうき)』ともいう。中納言(ちゅうなごん)勘解由小路(かでのこうじ)(藤原)兼仲(1244―1308)の日記。日記名は、家名と記主名から1字ずつとって後人が名づけたもの。日記の範囲は1268年(文永5)から1300年(正安2)までで、中間に散逸した部分も多い。兼仲は、朝廷の文書を取り扱う弁官(べんかん)や蔵人(くろうど)などを歴任しているため、当時の事件に関する記事を載せている。蒙古(もうこ)襲来、鎌倉将軍の廃立、大覚寺(だいかくじ)・持明院(じみょういん)両統の対立などに関する記事は有名である。自筆本が東洋文庫に現存する。『史料大成』所収。なお自筆本には紙背文書があり、『鎌倉遺文』に収められている。父の経光(つねみつ)にも『民経記(みんけいき)』(別名『経光卿記』)がある。

[益田 宗]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「勘仲記」の意味・わかりやすい解説

勘仲記
かんちゅうき

鎌倉時代後期の公卿藤原兼仲の日記。建治1 (1275) ~永仁2 (94) 年のものが現存。欠けている部分もある。兼仲は祖父以来京都の勘解由小路 (かでのこうじ) に住み,この地名を氏の号としていたので,後人が,その「勘」と名の「仲」をとって記名とした。荘園所領関係をはじめ,元寇,大覚寺,持明院両統迭立などに関する記事に富み,政治史に関する好史料。『史料大成』所収。

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旺文社日本史事典 三訂版 「勘仲記」の解説

勘仲記
かんちゅうき

鎌倉後期,勘解由小路 (かでのこうじ) 藤原兼仲の日記
『兼仲卿記』ともいう。1275年から1300年にわたるが,欠失部分も多い。荘園関係・元寇をはじめ,持明院・大覚寺両統迭立 (てつりつ) をめぐる記事などをおさめた重要史料。

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