倫理学者、文化史家。兵庫県の医家に生まれる。姫路中学生であったころは、バイロンのような詩人になるのを夢みていたが、旧制第一高等学校生徒時代、先輩の魚住影雄(うおずみかげお)(折蘆(せつろ))から万学の基礎である哲学を学ぶように勧められ、東京帝国大学文科大学哲学科に進んだ。在学中、大塚保治(1869―1931)教授の「最近欧州文芸史」と岡倉天心(おかくらてんしん)講師の「泰東巧芸史」をもっとも深い感銘をもって聴講したが、かたわら第二次『新思潮』の同人となり、文芸への関心を絶たなかった。文科大学1年のとき「ショウに及ぼしたるニイチェの影響」を書いているが、バーナード・ショーに専念した一時期があった。しかしまもなく関心はニーチェに移り、その研究を卒業論文にしようとしたが、指導教授の反対で果たさず、その鬱憤(うっぷん)を、卒業した翌年(1913)に公刊した『ニイチェ研究』で晴らした。ついで『ゼエレン・キェルケゴオル』(1915)を出し、日本における実存哲学研究の先駆者となった。
しかし、29歳の年の初めごろから、対象に即する思惟(しい)への傾向を強め、祖先の生活を見つめようとする動機から大和(やまと)の地を訪ね、古寺巡礼の旅をした。その旅行記が『古寺巡礼』(1919)で、この旅行によって、飛鳥(あすか)・奈良時代の彫刻・建築のような偉大な芸術を創造した日本人は何者であったかという疑問に追い立てられた。この疑問に答えたのが『日本古代文化』(1920)に始まる一連の日本精神史、日本文化史の研究――『日本精神史研究』(1926)、『続日本精神史研究』(1935)、『日本倫理思想史』(1952)などである。この日本研究のなかで仏教の占める比重は大きいが、その仏教思想を純粋な姿でとらえようとしたのが『原始仏教の実践哲学』(1927)で、その研究方法は、学生時代にケーベル教授から教え込まれたドイツの近代文献学によっている。そのことは『ホメロス批判』(1946)が示しているが、『原始キリスト教の文化史的意義』(1926)、『孔子』(1938)なども同じ方法をもってした労作である。
1934年(昭和9)、それまで8年余勤務した京都大学から東京大学へ転任したが、京都時代の末期から形成されつつあった倫理学の体系的研究が結実して『倫理学』3巻(1937~1949)となった。それに先だって『人間の学としての倫理学』(1934)に人と人との間柄が倫理であるという新しい解釈がなされ、海外旅行の体験を踏まえて編み出された『風土』(1935)の理論も「人間学的考察」という副題が付されている。敗戦の原因を究明して人倫の世界史的反省を試みた『鎖国』(1950)、『日本芸術史研究(歌舞伎(かぶき)と操浄瑠璃(あやつりじょうるり))』(1955)、『自叙伝の試み』(1961)など晩年の業績も多彩で、それらは集められて『和辻哲郎全集』全20巻として刊行された(1961~1963)。1955年(昭和30)文化勲章が授与された。
[古川哲史 2016年9月16日]
『『和辻哲郎全集』全20巻(1961~1963/25巻・別巻2・1989〜1992・岩波書店)』▽『『風土』(1935・岩波書店/岩波文庫)』▽『『鎖国』(1964・筑摩書房/上下・岩波文庫)』▽『和辻照著『和辻哲郎の思ひ出』(1963・岩波書店)』▽『湯浅泰雄著『和辻哲郎』(1981・ミネルヴァ書房/ちくま学芸文庫)』
大正・昭和期の哲学者,倫理学者,文化史家,評論家 東京帝国大学教授。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
哲学者。兵庫県生れ。東京帝国大学で哲学を学ぶ。谷崎潤一郎らとともに文学活動をし,耽美的傾向の作品を書いた。のち学界に入り,京都帝国大学文学部教授,東京帝国大学文学部教授を歴任。学士院会員。日本倫理学会を創立(1950),文化勲章を受章した(1955)。著作は《ニイチェ研究》《ゼエレン・キェルケゴオル》《古寺巡礼》《風土》《日本古代文化》《原始仏教の実践哲学》《日本精神史研究》《鎖国》《倫理学》《日本倫理思想史》《桂離宮》《国民統合の象徴》など。このうち,特に有名なのは《古寺巡礼》(1919),《風土》(1935)である。《古寺巡礼》は,奈良飛鳥の古寺の仏像の美しさをひろく世間に知らせ,今日の古寺めぐりブームのもとになった古典である。また《風土》は,東アジア,南アジア,西アジア,ヨーロッパ各地域の風土的特性と,それぞれの地域文化の伝統的特質の関係について考察した著作。たとえば,南アジアでは暑熱と湿潤によって緑が多く,汎神論的宗教であるヒンドゥー教や仏教が栄えたのに対して,西アジアの砂漠では,暑熱と乾燥によって,絶対的な一神教であるユダヤ教,キリスト教,イスラム教などが興っている。南アジアの汎神論は,大地の恵みを受容する母性的宗教を生んだが,西アジアでは自然を支配し,その上に立つ絶対唯一の神を奉ずる一神教が興った,とする。和辻は敗戦後,天皇制論争を行い,新憲法の精神と天皇制は調和することを訴えた。また〈人間の学〉とよばれる倫理学の理論を立てた。彼の倫理学は,東洋文化の伝統的特性を明らかにしたものである。
執筆者:湯浅 泰雄
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1889.3.1~1960.12.26
大正・昭和期の倫理学者。兵庫県出身。東大卒。1927年(昭和2)に渡欧し,翌年帰国して31年京都帝国大学教授,34年東京帝国大学教授となる。ニーチェ,キルケゴール研究から出発し,「日本精神史研究」をへて「人間の学としての倫理学」「風土―人間学的考察」に到達したのは,東大転任の前後だった。定年退官の翌50年日本倫理学会結成とともに初代会長となり,ほかにも多くの文化活動にたずさわった。構造的把握よりも,豊かな直観力という資質に見合った解釈学において優れていた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…基礎資料である15世紀の《ギニア航海記》(1841)では,イスラム教徒の征討に熱心な十字軍士としての側面が強調されているが,ポルトガル南西端サン・ビセンテ岬付近のサグレスに航海学校を創設したり,インド遠征を企図したルネサンス的賢人だったという,いわゆる〈エンリケ伝説〉が19世紀までに形成され,ついにはポルトガルの運命を切り開いた予言者として神格化されるに至った。日本でも和辻哲郎が《鎖国》(1950)の中で17世紀外国に門戸を閉ざした当時の為政者を,15世紀ポルトガルの海外進出を指導したエンリケに対比させて独自の評価を与えたが,同時にエンリケ伝説がそのまま日本に紹介された。しかし,19世紀末以降の実証的な歴史研究によって,エンリケ伝説は次々と否定されるとともに,近年のエンリケ研究からは超人的・ルネサンス的イメージは後退し,より人間的・中世的側面が浮かび上がってきた。…
…ニーチェは1899年以来,吉田静致,長谷川天渓,登張竹風,桑木厳翼らによって紹介され,高山樗牛が晩年にニーチェ主義の立場をとった。和辻哲郎の《ニイチェ研究》(1913)と《ゼエレン・キェルケゴオル》(1915)とが日本での本格的研究の始まりであり,やがて直接ハイデッガーに師事した三木清や九鬼周造によって実存思想が輸入され,三土興三,吉満義彦らの実存思想家を生んだ。第2次世界大戦後は〈実存主義協会〉も組織されている。…
…〈存在論〉は少なくとも1925年以来,ハイデッガーのOntologieに対する訳語として用いられている。29年和辻哲郎は,〈存在論〉の根本の問いは日本語では〈あるということはどういうことであるか〉であるとし,〈もの〉〈こと〉〈いう〉〈ある〉に関する見解を発表したが,これもハイデッガーの影響下のものである。31年和辻哲郎はハイデッガーのOntologieを〈有(う)論〉と訳し,今日でも若干の追随者がある。…
… 日本ではすでに1901年に高山樗牛が,《太陽》掲載論文《美的生活を論ず》の中でニーチェを持ち上げて以来,特に《ツァラトゥストラ》が,やがては《人間的な,あまりに人間的な》などのアフォリズム群が広く読まれはじめた。13年に出た和辻哲郎の《ニイチェ研究》は当時としては世界的に見てもきわめてすぐれた解釈である。しかし全体的には大正教養主義以降の知識人たちの中では,ニーチェはヨーロッパの思想史的コンテクストを離れて人生論的に語られることが多く,ようやく第2次大戦後になって氷上英広や,ハイデッガーを介した渡辺二郎らによって本格的研究が進み,ヨーロッパ思想の枠組みに置き入れ直されたニーチェとの思想的対決が行われはじめたといえる。…
…彼は《歴史哲学の理念》(1784‐91)の中で,各場所の森羅万象が風土に即していることを強調し,〈土地の高低,その性質,その産物,飲食物,生活様式,労働,衣服,娯楽,技芸などのすべてが,風土の描きだしたもの〉とみ,〈人間にも,動物にも,植物にも,固有の風土があり,いずれもその風土の外的作用を特有の仕方で受けとめ,組織し,編みなおすものである〉と論じて,人間史の基礎に主体的な風土を位置づけた。 日本では和辻哲郎が《風土》(1935)を著しユニークな風土論を展開した。西欧哲学の関心は,風土よりも時間や歴史に傾いていたが,和辻は,存在と時間の関係を論じたM.ハイデッガーの歴史への視点を場所へと移したのである。…
※「和辻哲郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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