歌人。磐城(いわき)国(福島県)平(たいら)藩士の家に生まれる。幼名久五郎、のち剃髪(ていはつ)して鉄眼と称す。15歳のとき戊辰(ぼしん)戦争にあい、幕軍について平城に籠城(ろうじょう)。この戦いで行方不明となった父母と妹の所在を求めて諸国を流浪し、その間写真屋をしたり、山岡鉄舟の門に入ったりした。一時、清水次郎長(しみずのじろちょう)の養子になって山本五郎といったが、復姓して1887年(明治20)剃髪、1892年には京都・清水(きよみず)の産寧(さんねい)坂に庵(いおり)を結び愚庵と号した。出家後独学で短歌を『万葉集』から学んだ。正岡子規よりも一歩先んじて万葉調の歌をつくり、また国士風なところがあって時事慷慨(こうがい)の心を詠み、歌の特色としては連作と時事歌が多い。
[藤岡武雄]
吉野川岩切り通しゆく水にかけて危(あやう)き芝橋も見つ
『湯本喜作著『愚庵研究』(1963・日本文芸社)』
(平岡正明)
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…【吉原 健一郎】
[人物像]
講談,浪曲の題材としての清水次郎長を定着させたのは,講釈師の3代目神田伯山であるが,この伯山のところに日参して稽古した浪曲師2代目広沢虎造のラジオ放送やレコードによって昭和初期の大衆にとって英雄の存在にまで高められた。《清水次郎長伝》の原典とされている伯山の講談は,主として天田愚庵の《東海遊俠伝》によっている。天田愚庵は,清水次郎長一家に寄宿したことのある歌人であるが,《東海遊俠伝》は,次郎長の存命中に,しかもその釈放運動に益するために書かれた気味もあり,もっぱら次郎長の功績をたたえることに終始している。…
※「天田愚庵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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