近世初期の博多の豪商。通称徳太夫,名を茂勝,剃髪して端翁宗室と称し,虚白軒,瑞雲庵とも号した。島井家は古くから博多で酒屋と質屋を兼営し,資本の増殖をはかっていた。また豊後の大友宗麟や肥後の筑紫広門に金融上の貸付けをし,肥前の豪族草野鎮永の代官を務めるなど,多彩な活動を行い,天正年間(1573-92)には九州全域の諸大名に接触をもつ実力者であった。1573-80年には対馬の宗氏を介して朝鮮貿易に活躍し,その商品を上方市場にもたらして巨利を得た。その間,堺の天王寺屋津田一族と茶会などで親交を得,また茶器などを介して織田信長,豊臣秀吉とも交わった(《島井氏年録》)。神屋宗湛と相並ぶ博多の頭人として町の復興に努めた。90年秀吉の朝鮮出兵に際し,朝鮮の偵察を命ぜられたが,宗室は朝鮮市場を失うことをおそれて反対した。このため秀吉に一時にらまれたが,戦争中博多の頭人として兵站(へいたん)基地の役割を果たした(《島井文書》)。宗室は秀吉の晩年には中風を病んでいたようで,以後宗室に代わって親類の神屋宗湛が公的には中心になって活躍するようになった。島井家は徳川家康政権下では福岡藩の一御用商人にすぎなくなるが,その巨額な資本によって金融業を営み,外国船や朱印船貿易家に投銀投資を行って資本の増殖をはかった。1611年(慶長16)宗室の遺訓17ヵ条を養嗣子の徳左衛門に与えているが,近世初頭の豪商の意識を知る貴重な文献として注目される。
執筆者:中田 易直
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安土(あづち)桃山時代の博多(はかた)の豪商、茶人。島井茂久の子。名は茂勝、通称徳太夫(とくだゆう)。剃髪(ていはつ)して瑞翁(ずいおう)宗室と称し、虚白軒(きょはくけん)、瑞雲庵(ずいうんあん)とも号した。島井家は古くより酒屋と土倉を営み、それによって蓄積した富力を背景に宗室は大友宗麟(そうりん)ら北九州の大名に貸付けを行っていた。また、宗麟を通じて天王寺屋道叱(どうしつ)、津田宗及(そうきゅう)、千利休(せんのりきゅう)ら堺(さかい)の商人・茶人とも親交をもった。さらに時の権力者織田信長や豊臣(とよとみ)秀吉への接近を図った。1587年(天正15)島津征伐の帰途、筥崎(はこざき)(福岡市)に立ち寄った秀吉の命により神谷宗湛(かみやそうたん)らとともに博多の復興にあたった。92年(文禄1)秀吉の朝鮮出兵の際には、小西行長(ゆきなが)の使者として交渉偵察にあたり、その出兵の愚を説いたが、いれられず、出兵中は宗湛らと兵糧米(ひょうろうまい)の調達にあたった。1601年(慶長6)黒田長政(ながまさ)の福岡城築城には多額の資金を献じている。10年、質素倹約と積極経営を旨とする17条の遺訓を養嗣子(ようしし)信吉に与え、家督を譲った。この遺訓は近世初頭の豪商の意識をうかがう貴重な史料である。
[小林保夫]
『田中健夫著『島井宗室』(1961・吉川弘文館)』▽『中田易直著「近世初頭の貿易商人たち」(『日本人物史大系3 近世1』所収・1959・朝倉書店)』
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1539?~1615.8.24
織豊期~江戸初期の博多商人・茶人。名は茂勝・徳太夫,剃髪して虚白軒宗室と号す。1580年(天正8)8月和泉国堺の津田宗及(そうぎゅう)の茶会に出席し,83年頃千利休の仲介で豊臣秀吉に会った。87年6月秀吉の博多復興に尽力,屋敷を与えられ,町役を免除された。89年と92年(文禄元)に朝鮮に渡り,宗義智・小西行長に協力して秀吉の朝鮮出兵の回避に努めたが,はたせなかった。
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…すなわち相当規模の家産を蓄積した大商家にあっては,営業の基礎をきずいた創業者としての初代,もしくは経営の拡大・発展に貢献して〈中興の祖〉と呼ばれる2,3代目の当主などによって執筆されることが多く,過去の体験や労苦の中から得られた経営理念なり生活信条を家訓として成文化し,子孫に伝えることによって家業の永続と繁栄に寄与することを念願したのである。早い時期の代表的な例としては近世初頭の博多の貿易商島井宗室が1610年(慶長15)に養嗣子に与えた17ヵ条から成る遺言状が知られている。その遺戒の内容は,第1条の貞心・律義・家内の和合に始まり,賭けごとの禁,交友・商売の心得から買物・食事などの日常茶飯時におよぶ節倹と勤勉を強調した処世訓で,その消極的な堅実性は江戸時代商家家訓の祖型をなすものといえる。…
…戦国期に博多は自治都市化するが,それを担ったのが博多の有力商人であったと考えられる。戦国末から近世初頭にかけて豪商が活躍したが,博多の島井宗室,神屋宗湛はその代表的存在であった。宗室は博多,対馬,朝鮮の間で貿易を行い,大友氏と深い関係を持った。…
※「島井宗室」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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