日本大百科全書(ニッポニカ) 「後藤文夫」の意味・わかりやすい解説
後藤文夫
ごとうふみお
(1884―1980)
内務官僚、政治家。大分県生まれ。東京帝国大学政治学科卒業後、内務省に入る。各県の事務官などを経て、1922年(大正11)警保局長となる。1924年台湾総督府総務長官、1930年(昭和5)貴族院議員。この間、伊沢多喜男系の民政党官僚として重きをなす。また、青年団運動を指導して日本青年館理事長を務めた。その後、国維会理事として「新官僚」運動を推進し、1932年斎藤実(さいとうまこと)内閣農相として農山漁村更生運動を指導。1934年岡田啓介内閣内相に就任、選挙粛正運動を行った。1936年二・二六事件直後、臨時首相代理となる。第二次世界大戦中は大政翼賛会副総裁、東条英機(とうじょうひでき)内閣国務相などを歴任。終戦後、公職追放。解除後の1953年参議院議員に当選、緑風会に加入。伝記に『青年と歩む後藤文夫』がある。
[小田部雄次]
『中村宗悦著『評伝日本の経済思想 後藤文夫――人格の統制から国家社会の統制へ』(2008・日本経済評論社)』