徳川義親(読み)トクガワ ヨシチカ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「徳川義親」の解説

徳川 義親
トクガワ ヨシチカ


肩書
貴院議員,尾張徳川家19代目当主,徳川林政史研究所創立者

別名
幼名=錦之丞

生年月日
明治19年10月5日

出生地
東京

学歴
東京帝大文科大学史学科〔明治44年〕卒 東京帝大理学部植物学科〔大正3年〕卒

経歴
旧福井藩主・松平春嶽の五男として生まれ、明治41年尾張徳川家・義礼の養嗣子となる。同年義礼の死後襲爵(侯爵)し、貴院議員(大正14年辞職)。大正7年徳川生物学研究所を、12年徳川林政史研究所を設立。また昭和6年には尾張徳川家に伝わる古文書や家宝類を管理するための財団・徳川黎明会を組織。この間、貴院改革運動や大川周明らの三月事件への関与、2.26事件では反乱幇助罪容疑をうけるなど、昭和史の表舞台・裏舞台に度々登場した。16年第25軍軍政顧問としてシンガポールに赴任マレースマトラの占領行政に従事する傍ら、昭南博物館長・植物園長として南方民俗動植物の研究を行った。戦後社会党を支援し党顧問となるが、公職追放を受ける。日ソ交流協会会長も務めた。また、狩猟家としても知られ、戦前マレー半島で虎狩りをしたことから“虎狩りの殿様”として親しまれた。自伝に「最後の殿様」がある。

没年月日
昭和51年9月6日

家族
父=松平 慶永(春嶽)(旧福井藩主) 息子=徳川 義知(尾張徳川家20代当主・徳川黎明会会長)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「徳川義親」の解説

徳川 義親
トクガワ ヨシチカ

明治〜昭和期の政治家,植物学者,侯爵 尾張徳川家19代目当主;貴院議員;徳川林政史研究所創立者。



生年
明治19(1886)年10月5日

没年
昭和51(1976)年9月6日

出生地
東京

別名
幼名=錦之丞

学歴〔年〕
東京帝大文科大学史学科〔明治44年〕卒,東京帝大理学部植物学科〔大正3年〕卒

経歴
旧福井藩主・松平春嶽の五男として生まれ、明治41年尾張徳川家・義礼の養嗣子となる。同年義礼の死後襲爵(侯爵)し、貴院議員(大正14年辞職)。大正7年徳川生物学研究所を、12年徳川林政史研究所を設立。また昭和6年には尾張徳川家に伝わる古文書や家宝類を管理するための財団・徳川黎明会を組織。この間、貴院改革運動や大川周明らの三月事件への関与、2.26事件では反乱幇助罪容疑をうけるなど、昭和史の表舞台・裏舞台に度々登場した。16年第25軍軍政顧問としてシンガポールに赴任、マレーやスマトラの占領行政に従事する傍ら、昭南博物館長・植物園長として南方の民俗や動植物の研究を行った。戦後は社会党を支援し党顧問となるが、公職追放を受ける。日ソ交流協会会長も務めた。また、狩猟家としても知られ、戦前マレー半島で虎狩りをしたことから“虎狩りの殿様”として親しまれた。自伝に「最後の殿様」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「徳川義親」の意味・わかりやすい解説

徳川義親
とくがわよしちか
(1886―1976)

近代の大名華族。東京生まれ。実父は幕末維新に活躍した越前福井藩主の松平慶永(よしなが)。敗戦後に最期の宮内大臣をつとめた松平慶民(よしたみ)は実兄。1908年(明治41)に尾張徳川侯爵家の養子となる。東京帝国大学を卒業し、徳川生物学研究所や徳川林政史研究所を設置。狩猟が趣味で北海道の熊狩りやマレー半島での虎狩りなどを好む。「理財の殿様」としても知られ、家政の合理化を進めて徳川黎明会を設立し、『源氏物語絵巻』など尾張家伝来の古書や家宝類の散逸を防いだ。1931年(昭和6)、三月事件のクーデター決行資金を提供し、その後も軍部の革新派や南方進出をめざす石原広一郎らと連携し、反英運動を行った。太平洋戦争開始後にシンガポールに赴任し、南方軍政顧問や昭南博物館長を務めた。戦後は、日本社会党結成に関与し、東京裁判では三月事件の証人となった。公職追放解除後、名古屋市長選に立候補するも落選。

[小田部雄次]

『徳川義親著『最後の殿様――徳川義親自伝』(1973・講談社)』『中野雅夫著『革命は芸術なり――徳川義親の生涯』(1977・学芸書林)』『小田部雄次著『徳川義親の十五年戦争』(1988・青木書店)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「徳川義親」の解説

徳川義親 とくがわ-よしちか

1886-1976 明治-昭和時代の華族,植物学者。
明治19年10月5日生まれ。もと越前(えちぜん)福井藩主松平慶永(よしなが)の子。尾張(おわり)徳川家の養子。侯爵。貴族院議員として治安維持法の制定に反対,貴族院改革をとなえる。戦後は社会党の結成に協力,日ソ交流協会会長をつとめた。徳川生物学研究所,徳川林政史研究所,徳川美術館などを設立。昭和51年9月6日死去。89歳。東京出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「徳川義親」の解説

徳川 義親 (とくがわ よしちか)

生年月日:1886年10月5日
明治時代-昭和時代の政治家;植物学者。侯爵;貴族院議員
1976年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報